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ナチスの女たち

ナチスとヒットラーに抵抗し、その犠牲者となった女性については多く書かれているが、それに対し加害者の立場にあった女性はそれほどの注目を浴びていないような気がする。いくつかの例外を除いては、ヒットラーやナチス幹部たちの脇役として言及されるのが関の山といったところか。
だが本書はヒットラーに心酔し、ナチスの活動に積極的に関わったり、その “崇高な” 目標を支持した女性に焦点を当てている。『ナチスの女たち』は全部で3巻刊行されているが、第1巻の本書では全部で8人の女性についてふれている。ナチスの幹部ゲーリングの最初の妻と2番目の妻であったカーリン・ゲーリングとエミー・ゲーリングを筆頭に、同じくナチスの幹部であったゲッベルスの妻、マグダ・ゲッペルス、それから先日亡くなった元映画監督のレニー・ライフェンシュタール、熱狂的ナチ支持者であったゲルトルード・ショルツ=クリンク、ヒットラーの姪のゲリー・ラウバル、またヒットラーの愛人であったエファ・ブラウン、そしてヒットラーのお抱え写真家の娘で少女時代からヒットラーに可愛がられてきたヘンリエッテ・フォン・シーラッハについて。

周知の事実だがナチスの女性観というものは元々かなり偏っていた。女性を「女性解放運動から解放」することを目標とし、子沢山の良妻賢母をあるべき女性の理想像として掲げていたのである。著者のジークムントはまず、そんなナチスの女性政策とその裏舞台に光をあてる。
意外なことには、子沢山の良妻賢母を大量生産するため女性を社会から締め出すことに熱心であったヒットラーは、何らかの分野で卓越した女性には非常に寛容だったという。例えば、ハンナ・ライチュは世界初の戦闘機の女性正操縦士、ヘリコプターの操縦士、ジェット機の機長として第三帝国時代に大活躍し、ヒットラーから直接勲章を授与されもした。また本書で描かれている元映画監督のライフェンシュタールも、ヒットラーの元でその才能を開花させ、映画史に残る大傑作を作り上げた。
しかしそういった例外を除けば、ナチスは女性を政治や社会から遠ざけて家庭に閉じ込めることに躍起であった。だが皮肉なことに、この女性政策が1940年代に入って第三帝国の足を引っ張り始める。国内産業へ女性労働力を投入できないために、兵士として前線に送れる人員を国内に配置せざるを得なくなるのだ。日本では「銃後の守りは女性が……」などといったスローガンがしきりと発せられ、女性が戦場の男性に代わって働き始めていた気がするがどうなのだろう。日本とドイツの国際比較も気になるところだ。

さて各々の女性像についてだが、特に面白く読めたのが『レニー・リーフェンシュタール』と『ゲリー・ラウバル』、『エファ・ブラウン』の章であろうか。

先日(9月8日)に101歳で亡くなったリーフェンシュタールは、最初ダンサーを目指してバレエを始めるが何度も足を怪我したために、ダンサーの道を断念。女優として映画に出演し始める。そこから監督業を始め、彼女の映画がヒットラーやゲッペルスらの目に留まったために、ベルリン五輪の記録映画『民族の祭典』の撮影を任されることになったのである。斬新で非常に独特な手法を用いて撮られたこの映画は絶賛され、現在でも高く評価されている。しかし戦後彼女は親ナチ的であったという理由で弾劾され、監督業を中断することを余儀なくされてしまう。
彼女の代表作である『民族の祭典』や『美の祭典』といった映画は、リーフェンシュタールの才能の他にナチスの全面的な支援があったからこそ出来あがった作品である。これは芸術と悪は背反しないことを示す好例だが、どこに判断基準を置くかによって彼女の作品に対する評価が大きく別れる。つまり芸術を芸術のみとしてとらえるのか、道徳と芸術のつながりを重視するのか。
ジークムントは特にそういった疑問を読者に直接投げかけているわけではないが、政治的公正さと芸術については、この章を読み終わった後に色々と考えさせられた。

リーフェンシュタール自身は後に、嫌々ナチスと関わっていたと自分の潔白を主張していた。しかし著者のジークムントは彼女の戦時中と戦後の発言を比較して、リーフェンシュタール無実説の矛盾を次々に指摘していく。(「死人に口なし」とばかりに、ナチス幹部を悪しざまに言うリーフェンシュタールの姿勢はちとえげつないが、取り敢えず自己弁護したい気持ちはよくわかる……。)
数々の自己弁護にも関わらず監督生命を絶たれたリーフェンシュタールだが、そこで諦めない。今度はカメラを手に持ち、60歳にして写真家としてのキャリアを始めるのだ。そしてアフリカのヌバ族を撮った写真集が大きな反響を呼ぶ。また72歳にして初めてスキューバダイビングを体験した彼女は水中世界の美しさに魅せられ、海の写真集も出版する。80歳になると自伝の執筆に取りかかり、5年の歳月をかけて書かれた自叙伝はベストセラーとなって各国語に翻訳された。さらに60歳を過ぎてから知り合った40歳以上年下の彼氏と死ぬまで連れ添う。(……ものすごいバイタリティである。やはり女は閉経後が勝負か。)
先日の彼女の訃報のニュースがオーストリアで報道された際には、彼女の第三帝国時代の親ナチ姿勢についてももちろん報道されたものの、それについての批判はあまり見当たらなかったように思われる。(左派のスタンダード紙だけはかなり厳しい記事を書いていたが。)リーフェンシュタールは立派なナチ協力者であったと私個人は思う。しかしいったんは芸術家としての生命を絶たれながらも、別の方面で自分の才能を活かし、起死回生をはかる様は何ともすごい。そして後ろ暗い過去を、新たな業績でもってかすめてしまった。
あっぱれな女性である。読後感はその一言に尽きる。

ゲリー・ラウバルは上にも書いた通り、ヒットラーの姪である。彼女はヒットラーの異母妹、アンゲラ・ラウバルの娘として1903年に生まれた。本名は母と同じくアンゲラ。ゲリーは愛称である。「アドルフおじさん」に可愛がられて育ったゲリーだが、19歳の時に、ヒットラーお気に入りのお抱え運転手エミールと恋に落ちる。しかしこの恋にヒットラーは大反対し、結局2人の仲を裂いてしまう。そして23歳という若さでゲリーは自殺するのだ。自殺の動機は不明である。
これには、ヒットラーがゲリーに恋をしていたという噂が根強くささやかれている。さらには2人が性的な関係にあったという説もある。しかし真相は今でも明らかになっていない。ジークムントは様々な資料から2人の関係を読み解こうと試みるが、核心的な記述がないのでいまひとつ事情がはっきりしない。しかし資料の欠落を想像で補ってしまうと、そこでこの本は「歴史小説」になってしまうため、それを避けようと裏付けのある記述にこだわったジークムントの姿勢は理解できる。
だがヒットラーが描いたというゲリーのヌードデッサンの写真も本書に載っており、一読者として私は様々な想像をかきたてられた。(ジークムントはこのデッサンが贋作である可能性を否定していないが、ヒットラーの手による他のデッサンとゲリーの素描のタッチが非常に似通っていることも指摘している。)当時はおろか、現在でも伯父が姪の裸を描くのはあまり普通でないだろう。やはりヒットラーが何らかの特別な感情をゲリーに抱いていたことは確かだと思うのだが……。
とにかくヒットラーはゲリーを相当可愛がっていたようだが、不思議なことにゲリーの死後の態度は非常にそっけない。葬式にも参加せず、遺体もウィーンの中央墓地の臨時墓所に安置しておくだけ。しまいには、臨時墓所の使用料の支払いまで滞るようになる。当時のヒットラーは財力にも恵まれていたのだから、お気に入りの姪に墓ひとつ作ってやらないこの冷淡さは不思議な限りである。
上に書いた通りこの事件の真相は闇の中なのだが、これを材料に推理小説が書けてしまいそうなくらい謎が色々つまっていそうなエピソードである。
⇒この事件についての詳細は『総統の親友』を参照のこと。

エファ・ブラウンは言わずと知れたヒットラーの愛人。彼女の存在は長年国民に隠されていたため、ヒットラーの死後彼女の存在が明らかにされると、彼女に関して様々な憶測や噂が流れたという。しかし本書を読む限り、エファ・ブラウンは政治に全く無関心で、化粧と写真撮影と映画『風と共に去りぬ』が大好きなごく普通の女性である。そしてヒットラーに身を捧げ、ヒットラーの為に生き、ヒットラーと共に死んだ。
この章をジークムントは「エファ・ブラウンは歴史の失望である」という引用をもってくくっている。つまり、妖婦だ、艶婦だと騒がれていた彼女の実像は、自分の意志を抑えつけてでも男の意に添って生きようとする平凡な女性に過ぎなかったということである。そういった意味で、この締めの一文は非常に印象深い。

この本はナチスに関わっていた女たちの記録なのだが、各章を通して読むと(独裁者ではなく)人間としてのヒットラー像もおぼろげに浮かび上がってくる。現代の私から見るとヒットラーは「チョビヒゲをはやしたぱっとしないおっさん」でしかないのだが、当時の女性の間では絶大な人気を誇っていたらしい。つまりセックスアピールを発散しまくっていたようなのだ。また男尊女卑的な考えに凝り固まっていたわりには(あるいはだからこそ?)女性に対して紳士的で、男女関わらず身近な者たちには細やかな気遣いを見せていたとか。
特に最終章に出てくるヘンリエッテ・フォン・シーラッハは子供時代からヒットラーに色々と可愛がられ、すっかり都合のいいように教育(または洗脳)されてしまったために、戦後になっても優しい「アドルフおじさん」の幻想から抜け出せない。(しかしそんな風に可愛がってもらったら、私も「アドルフおじさん」を大好きになっていたかもしれず、あまりこのフォン・シーラッハを非難する気にもなれない。)またヒットラーの秘書であったトラウドゥル・ユンゲも1、2年前に出版された手記で、ヒットラーの人間的な優しさについてふれているようだ。(彼女はドキュメンタリー映画『死角〜ヒットラーの秘書〜』でも自らの過去について語っている。(⇒『最後の時まで』参照のこと。)
……血も涙もない残酷な独裁者であると同時に心優しく紳士的なおじさんであるヒットラー。これが私の中で全くつながらない。しかし歴史の裏側を垣間見たような気にはなれた。

最後に、この本は、第三帝国の女性史を研究する上でも貴重な資料となるだろうと思う。それがまだ日本語に訳されていないらしいのには少し驚いた。読み物としても面白い本なのだが……。本の内容とは直接関係ないが、それがとても残念。
[2004/05/28 改]

アマゾン.jp へ: Die Frauen der Nazis (独)、 Women of the Third Reich (英)
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原題: Die Frauen der Nazis
著者: Anna Maria Sigmund (アンナ=マリア・ジークムント)
出版年: 1998

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