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氷と闇の恐怖

1872年、25名の隊員から成るオーストリア=ハンガリー探検隊は、時の皇帝フランツ=ヨーゼフの命を受け、北極地に新大陸・新航路発見の旅に出た。この『氷と闇の恐怖』はその探検隊の過酷な道程と隊員たちの苦難をを詳細に記録した歴史小説である。

そもそもなぜ北極探検だったのかというと、当時ヨーロッパとアジアを繋ぐ北回りの航路がさかんに探されていたのである。アフリカを経由したり、地中海を通るよりは北回りで迅速に東アジアへ到達できると考えられていたため、多くの探検隊が新航路開拓へと派遣された。また北極に近い極寒地にはインカ帝国やジパングのように金銀が山ほどあるという伝説もあったため、財宝欲しさに探検を企てる者も少なくなかった。
さらに、帝国主義的発展に乗り遅れたオーストリアが、植民地と成り得る未知の新大陸の存在を北に求めたであろうことも想像にかたくない。

1872年6月13日、オーストリア=ハンガリー北極探検隊は、当時の最新技術をもって建造された蒸気船テゲトフ号に乗ってブレーメンから出港した。船には約1000日分の食糧、130トンの石炭などが積まれ、万が一の場合にも捜索隊は派遣されないという条件のもとに探検隊は出発したのである。
さて、ブレーメンを出港したテゲトフ号は北海からノルウェー海へと抜けて順調な船旅を続け、夏のうちになるべく北極点に近い高緯度の地点までたどり着こうとする。ところがその年は海が凍り始めるのが早く、テゲトフ号は8月22日に流氷の中に閉じ込められてしまって身動きがとれなくなるのだ。結局次の夏にこの氷が解けることを期待しながら、早くも探検隊はここでの越冬を余儀なくされる。そして船を囲む氷がいつかテゲトフ号を押し潰してしまうのではないかという恐怖にさらされながら、春を待ち続けるのだ。
次の年になり、ようやく春が来るのだが、夏になっても船の周囲の氷は解けない。流氷にのってあちらこちらへ流されながら、ある日テゲトフ号は未知の陸地に近づく。この島はフランツ・ヨーゼフ島 (Franz Josef Land) と名付けられるが、島に十分近付くことも叶わないテゲトフ号において探検隊の焦燥は高まる。だが幸運なことに、その年の冬テゲトフ号はこの陸地近くに氷漬けとなった。2度目の厳しい冬を船内で乗り切った探検隊員は、春になると副船長のパイヤーを筆頭に新しい陸地の調査へと出かける。

このパイヤーという人、ある意味鬼である。2度も極寒地で越冬をしてヘトヘトになっている隊員を数人連れ、春とはいえマイナス数10℃(時にはまぶたが凍って閉じられなくなるほど)の寒さの中測量旅行を決行するのだ。「氷の中に閉じ込められ、無為に時間を過ごした分を取り戻さなくては!」という焦りと功を求める気持ちに駆られてのことだが、自ら血尿を出し発汗が止まっても歩き続け、隊員にもそれを強制する。1度目の測量旅行の帰り、隊員の1人は凍った両手の痛みに喘ぎ、血を吐きながら、別の者は目から血を流しながら、また他の者は凍傷で足が腫れ上がったため靴の代わりにトナカイの毛皮を足に巻いて歩き続ける。 壮絶の一言に尽きるが、パイヤ―は同様の測量旅行をその後2度繰り返すのである。

パイヤ―が3度目の測量旅行を終えると、テゲトフ号において3度目の越冬は不可能だと判断した船長ヴァイプレヒトの指示で、ついに北極圏からの脱出行が始まる。これはテゲトフ号を捨てて徒歩で南の海に向かい、そこからボートでさらに南へと漕ぎ出してバレンツ海あるいはカラ海付近を航行している捕鯨船に救助してもらうという計画であった。
緊急避難用のボート3台に食糧やテントなどを積み、氷原をひたすら歩いて行く隊員たちだが、ボートのあまりの重さと猛吹雪に阻まれて脱出初日の1874年5月20日には10時間の行進でたったの1kmしか進めない。さらに回り道を続けながらも2ヶ月歩き続け、進めた距離はたったの10km。もとよりヴァイプレヒトは生きて故郷に戻れることを信じてはいなかったが、隊員を励まし続けながら無意味な行軍を続ける。
しかしそこで奇跡が起きた。その年の夏はいつになく暖かく、足元の氷が解け始める。歩くよりボートを漕ぐ回数が次第に多くなり、ノバヤゼムリャ島付近で8月24日に隊員たちはようやくロシアの鯨油船に救助され、故郷へと帰りつくのだ。

この過酷な探検の犠牲者は25人中たった1人。あとは全員無事に救助されるのだが、これは船長のヴァイプレヒトの人格と思慮深さによるところが大きいように思われる。しかしヴァイプレヒト自身は、探検の数年後に亡くなってしまう。極限状態の2年間で一生分の力を使い果たしてリーダーシップを発揮したのだろう。逆に、ヴァイプレヒトと仲違いしていたパイヤーはそれなりに長生きをする。

小説内では上記の探検隊の話と平行して、探検隊に加わっていたイタリア人船員の孫であるヨーゼフ・マッツィーニが1980年代に何かに取りつかれたように探検隊の行路を辿り、最後にはノルウェーの多島海、スバールバル諸島の雪原で行方不明になってしまうところまでを描いている。大体一章ごとに過去、現在、過去……と話が入れ替わるのだが、その二部構成がどうも受け入れ難い。緊張感のあるオーストリア=ハンガリー探検隊の話の腰が毎度毎度折られ、マッツィーニの冗長な旅の過程を読まされるのは苦痛だった。
しかし批評家にはこの構成が大好評なのだ。ネットで他人の感想を読んでみるに、二部構成を批判しているのは大抵私のように語学か文学的素養があまりない人々である。実はこの構成が作品に深みを与えているらしいのだが、そこまで読解力・語学力がない私にはそこが理解できない。ドイツ語修行して数年後にまたこの本を読んでみれば、この構成のよさがわかるようになるのかもしれないが。

しかし小説の構成がどうであれ、極力感情を排して隊員たちの日記などを元に当時の状況をひとつひとつ組み立てていくランスマイヤーの表現力は名人級だ。極限状態の人間ドラマをここまで鮮やかに、生々しく語れる作家はそういないだろうと思う。元々ランスマイヤーは科学雑誌などのの記者として働いていたそうだが、その当時培った(であろうと思われる)精緻で冷徹な筆致がこの小説でとても生かされている。
批評家に絶賛されているというランスマイヤーの「ドイツ語の美しさ」を味わう余裕はまでは私になかったが、その片鱗を感じ取れただけでも満足である。

ORFではこの小説を下敷きにしたオーストリア=ハンガリー探検隊の歴史ドキュメンタリーを復活祭の時あたりに放映していた。このドキュメンタリーも非常に見応えがあるので、本を読むのが面倒だという場合はこちらを先に見てもいいかもしれない。DVDやビデオが発売されているはずなので。
私は先にドキュメンタリーを見てから本を読んでみた。

ランスマイヤーはオーストリア出身の作家で、この『氷と闇の恐怖』は彼の最初の長編小説である。上にも書いた通り、特にその流麗な文体が批評家に絶賛された。その後1988年には『ラスト・ワールド』が出版されたがこれが前作を凌ぐ傑作で、「現代ドイツ文学の最高峰を極めた」と各方面から手放しで賞賛された。この作品ではローマ時代の詩人、オウィデウスの漂白の旅が描かれているのだが、私は20ページほど読んで挫折した。最高峰を極めたというだけあって難解で、何が何だか全然わからなかったのである。その後も何冊か長編小説を書いたランスマイヤーは現在戯曲にも取り組んでいる。

アマゾン.jp へ: 氷と闇の恐怖The Terrors of Ice and Darkness (英)、
アマゾン.de へ: Die Schrecken des Eises und der Finsternis (独)

原題: Die Schrecken des Eises und der Finsternis
著者: Christoph Ransmayr (クリストフ・ランスマイヤー/ランスマイーと表記されることもある)
出版年: 1984
日本語版
題: 氷と闇の恐怖
翻訳者: 樋口 倫子
出版社: 中央公論社

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