HOME > 書評目次 > 読書の記録 > 分別と多感

分別と多感

これはブロンテ姉妹と並び称されるイギリス女流作家、ジェーン・オースティンの長編ロマンである。1998年あたりには、小説が映画化されもした(『ある晴れた日に』)。主演はエマ・トンプソンで脚本も彼女が手がけた。才女の誉れ高いエマ・トンプソンが脚本を書くのに5年もかけたというだけあって、映画のほうも中々の出来である。

ジェーン・オースティンの魅力は、人間観察の鋭さと性格描写の的確さにあるような気がする。小説の舞台はイギリスの上流階級で、内容は簡単に言えばそこに繰り広げられる恋愛喜劇でしかない。『嵐が丘』や『風と共に去りぬ』のような派手な熱烈恋愛や劇的な盛り上がりには欠けるのだが、その分ひとつひとつの会話や登場人物の行動がウィットに富んでいる。そのため味わいのあるおかしさが作品全体に漂っているのだ。

モンテ・クリスト伯』では先にドラマのほうを見てしまったことを悔やんだが、『分別と多感』は映画も素晴らしかったので、それが問題になることもなかった。主人公のエリノアは19歳、彼女の相手のエドワードは24歳という設定なので、エマ・トンプソンとヒュー・グラントではトウが立っていていかがなものかとちらと思ったが、気になったのはそれだけ。

ただ映画化してしまうと、映像では表現しきれない細かな事情がどうしても出てくる。小説を読むと、映画で「あれ?」と思った状況の辻褄も合い、納得が出来るのでより満足できた感がある。
例えばエリノアの恋のライバルであるルーシーは本当はえげつなく意地悪な女である。(その性格描写がまた上手い。)またエリノアの妹のマリアンヌは映画の中でいっぺんに大風邪をひくが、小説の中ではこれが少しずつ悪化していく。これはジェーン・オースティンが現実主義者で、一夜にして発病などというありきたりでドラマチックな出来事を避けたかったためでないかと思われるが、いかがなものか。 そんな風に映画と小説を比較して本を読み進めていくのも中々面白かった。

主人公のエリノアは19歳にしてあまりにも老成している。正直で、自制心が強く、知的・理性的で、思いやりがあり、穏やかで優しく賢い。その対照として描かれる妹のマリアンヌは感情的・感傷的で正義感が強いが、自分の感情に正直過ぎて周囲に気を使えないことが多々ある。エリノアは最初から最後まで一貫した性格で変化に乏しいのだが、マリアンヌのほうは後に手痛いショックを受けて成長する。ある意味『分別と多感』はマリアンヌのビルドゥンクスロマン(=主人公の人間形成の過程を描いた小説)と言えるのかもしれない。(彼女は一応サブ主人公扱いなのだが。)
またエリノアの完全無欠ぶりと(マリアンヌだけでなく)周囲の人々の人間臭さという落差も小説の魅力であったりする。エリノアの目を通して常に変わらぬ人間の弱さや愚かさや美徳が読者に伝えられる。ただそれが必ずしも批判的でない。「これが人間だ」というような諦めと優しさをもって描写されるので、読んでいるこちらもほっとできるし笑える。

最後に題についてだが、原題は “Sense and Sensibility” である。特に “sense” という単語は小説中様々な意味で用いられているので、これを単なる『分別』と訳してしまうのはどんなものかと思ってしまった。だが英語のこの引っかけを日本語に訳すのは難しいから、多分訳者も相当頭をひねったんだろう。私にしても別の案があるわけでもないのであんまり邦題に突っ込むつもりはないが、少し違和感を感じた。

アマゾン.jp へ:分別と多感Sense and Sensibility

原題: Sense and Sensibility
著者: Jane Austen (ジェーン・オースティン)
出版年: 1811
日本語版
翻訳者: 真野 明裕
出版社: キネマ旬報社

HOME > 書評目次 > 読書の記録 > 分別と多感
────────────────
(C) Hana 2003 ウィーン今昔物語