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太陽がいっぱい(リプリー)

今回は小説と映画の比較。
これはアラン・ドロンの有名な古典映画『太陽がいっぱい』(1960年)の原作である。その後1999年にマット・デイモン主演でリメイク版(『リプリ−』)も撮られた。私は『リプリー』のほうしか見ていないが、健康的なマット・デイモンが軟弱(そう)で自己欺瞞が得意なリプリーを演じるのはミスキャストだったような気がしてならない。

また映画ではトム・リプリーの同性愛的傾向が前面に押し出されているが、小説内では同性愛についてそこまで露骨に描かれていない。マージがディッキーに「彼(トム・リプリー)は同性愛っぽいから気をつけなさい」と注意するくだりや、(映画と同じように)トムがディッキーの服を着て浮かれているところを見つかってドギマギするシーンなどはあるが、彼がディッキーを恋愛対象と意識して見ている印象は受けなかった。
トム・リプリーのディッキーに対する感情はむしろ、ほのかな恋心に近い友情(それまでトムには大して友達がいなかったのだ)やディッキーの気ままな身分に対する羨望や憧れ、ディッキーと仲のいいマージに対する嫉妬などがミックスされているので、それが単なる恋愛感情に置き換えられてしまうと話が途端に平板になってしまう。また上に書いたように、マット・デイモンに繊細な役は似合わない気がするので、どうせならもっと線が細く、同性愛傾向が強そうな役者にトム・リプリー役を演じて欲しかった。(アメリカの青春ドラマシリーズ『ドーソンズ・クリーク』に一時登場していたヘンリー役のマイケル・ピットなんてぴったりの感じがするが。)

ディッキー殺害の理由も小説内では痴話喧嘩でない。最初は親友のようだった2人なのに、ディッキーのトムに対する態度が少しずつ変化していき、しまいには冷たく素っ気ないものに変わってしまう。何よりそれがトムには耐えられないものだったし、自尊心を傷つけられた。さらにディッキーの父親からも事務的なお役御免の手紙を受け取り、その冷たさにも腹を立てて「ならば……」とトム半ば計画的にディッキーを殺してしまったのだと私は思ったが。そこでは金銭欲や身分の差といった動機は特に感じられなかった。

このアンチヒーローのトム・リプリーは徹底的に一人なのだ。友達でいたかったディッキーには結局冷たくあしらわれて殺してしまうし、他の人間に対しても距離を感じて近しく付き合えない。また嘘ばっかりついているから、誰かと仲良くするとその嘘がばれて大変なことになってしまいそうで、付き合いたくても付き合えないというジレンマもある。
ディッキーを殺してディッキーに成りすまし、警察の目は誤魔化せたものの、トム・リプリーが得たものは金以外になくて、何だか虚しい。その虚しさ、無意味さはとてもよく描けている。読んでいるこちらも本書読了後には溜息が出た。

アマゾン.jp へ: リプリー太陽がいっぱいThe Talented Mr Ripley

原題: The Talented Mr Ripley
著者: Patricia Highsmith
出版年: 1955
日本語版
翻訳者: 青田 勝
出版社: 角川文庫 (後に『太陽がいっぱい』から『リプリー』へと改題)
または
翻訳者: 佐宗 鈴夫
出版社: 河出文庫 (同じく後に『太陽がいっぱい』から『リプリー』へと改題)

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