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リンボウ先生遠めがね

書誌学の先生によるエッセイ集。以前『イギリスはおいしい』というエッセイ集を読んでその文章の上手さとユーモアのからみ具合にいたく感心したのだが、本書も中々面白く読むことができた。
どうやらこのリンボウ先生はかなりの食いしん坊なのである。従って、食に関する文章が本書でも随所に見られる。そして先生の豊富な語彙をもってこれでもか!というほど、寿司やラーメンや沖縄料理や八戸料理や台湾料理などについて語られる。それが不味ければいいのである。読んでいるこちらは平静でいられる。しかし先生が、舌がとろけそうになったり、天にも上るような心地になれる美味しさを味わう様を克明に描写しているのを読むと切なく(お腹が)貧しい気持ちになってくる。特に最終章の『ここに寿司あり』はいけない。海から遠いウィーンで貧乏に暮らしている私は、分厚い霜降りステーキを前におあずけを食らっている犬のような気分になってしまった。一部引用してみると:

イバラガ二の子は、朝ぼらけ東雲の空が朱に染まったようなほんのりとした茜色をしている。かすかにオレンジがかったピンクといってもよい。それに、全体どろとした半透明色に白い膜のような粘液のようなものに覆われているところは、峰に棚引く横雲の空といった気合いだ。大きさは本物のキャビアとあい同じきが如くに一粒一粒相当大きい。それが、軍艦上に山盛りになって、口に入るとずるっとして、やがて、その粒がぷっと割れる。中からは、べつだん生臭くもない粘液が現れて舌にまつわり、その風味は、まことに筆舌に尽くしがたい。こういう蟹子も、むろんその親蟹が元気で活きて水底を活躍して歩いているのでなければ味わわれない。(文春文庫308ページより)

蟹の子なんて食べたこともない私だが、食べたくて食べたくてたまらない気にさせられる。
リンボウ先生は、食べたものがおいしければおいしいほど、それを描写せんという意気込みに溢れた表現豊かな文章を書くようになるようである。そうやって読者の食欲を煽り、胃酸とよだれとをさんざんに分泌させながら、当該の名人がにぎる寿司屋の場所も名前も教えてくれない。その寿司屋の居所を知ったところで、貧乏な私がそこに寿司を食べに行けるわけもないのだが、それでも何となく切ない。

さて話は変わるが、実はリンボウ先生と私の実家は比較的近所同士であることも判明した。びっくり。と言っても家が人口10万人の同じ市内にあるというだけのことだが、それだけでも親近感は湧くものなのである。さらにうちの近所の桜の名所の話や花見にからんだローカルなイベントの話を読んで、親近感は倍増。先生のお宅はあのへんなのか、このへんなのか……想像もしてしまった。

色々考えてみたのだが、リンボウ先生の文章の魅力のひとつに独特の言い回しや少し古臭い言葉遣いにある(「世間の喧騒を斜眼に睨むごとくに」156ページ、「私が憎むのは、不徳義なる酔漢の行状であって……」218ページ、その他「頗る」、「甚だ」といった古めかしい副詞も時々見られる)。後書きで作家の嵐山光三郎がこれを「明治調文語体」と表現しているが、それでいて文章が小難しいわけでもない。それによって逆にリンボウ的雰囲気が醸し出された上、生き生きとその場の様子が描写され読んでいて楽しい。例えば、香港の鳥オヤジたちの微妙な態度を分析し、その裏に隠された本音をリンボウ先生は代弁してくれる。その語り口が絶妙なのだ。

中にはあまり興味を持てずに斜め読みしてしまった章もあるが、時には吹き出してしまうような場面もあり、全体的にはとても面白く読むことができた。特に本書(の一部)は『イギリスはおいしい』と共に食・グルメエッセイファン(という人々がこの世にはいるらしい)に必読の一冊であろう。

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原題: リンボウ先生遠めがね
著者: 林 望
出版年: 1998

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