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ロッティ、時計職人

前回読んだ『クランバンブリ、他』 とは異なり、今回は比較的富裕なウィーン市民で時計職人のロッティが主人公である。これは作家としてのエーブナー=エッシェンバッハの転機となった作品でもある。

舞台は19世紀前半のウィーン。
その当時には珍しく、時計職人のロッティは35歳で未だに独身である。しかし有能な職人である彼女は地味に堅実に暮らし、特に不自由をかこっているわけでもない。そして義兄(ロッティの父が養子にした遠縁の息子)のゴットフリードと共に独立して、近々時計店を開店する予定でもある。
そんなある日のこと、修理を頼まれた時計が、自分が昔の婚約者に贈ったものであることにロッティは気づく。15年ほど前、ロッティはロマンチックで激情的な詩人のハルヴィックと婚約していたのだ。しかし感情の起伏が激しいハルヴィックは次第にロッティの優しさに甘えだし、気難しくなっていく。ハルヴィックを愛するロッティはそんな状況を黙って耐え忍んでいたが、ある日別れを決意する。その後何年もしてからロッティは人づてにハルヴィックが若い美貌の女性と結婚したことを知る。だが昔の傷は癒え、それを聞いたロッティが動揺することはもうなかった。
そして静かに変化の乏しい生活を送る彼女の元に、ハルヴィックの時計が現れ、続いてハルヴィック自身も現れる。友人として、久々の邂逅を喜び合う2人。しかし詩人として成功を収め、美しい妻と共に瀟洒な屋敷に住んでいるハルヴィックはそれほど幸せそうでもない。それもそのはず、一見豊かな生活の家計は火の車で、ハルヴィックは作家としての才能をどうにか切り売りして贅沢な妻を養っているのだった。そんなハルヴィックに抜き差しならぬ危急の時が訪れ、ロッティは……。

比較的上流階級に属する理性的な独身女性を主人公にした女流作家の作品ということで、私はこの『ロッティ、時計職人』とジェーン・オースティンの『分別と多感』を比べてしまった。18世紀の終わりに書かれた『分別と多感』と本作品には100年ほど時間のひらきがあり、主人公の年も10歳以上はなれているが(『分別と多感』のエレノアは確か19歳)、両者には人間的な賢さや極端なまでの誠実さ、また(特に当時は女性らしからぬと考えられていたであろう)理知的な冷静さなどが共通している。さらに決して美人でないと明言されている点においても、この2人の女性は同じ土俵に立っているのである。ただ貴族の恩給で家族と暮らすエレノアに対し、市民階級に属するロッティが手に職を持ち、独身で経済的にも自立しているという点で(フェミニズム的視点から見れば)、『ロッティ、時計職人』のほうが100年分進んでいると言えるかもしれない。
それ以外に、エレノアの恋敵のルーシーとハルヴィックの妻のアガテの性格もかなり似通っている。馴れ馴れしい態度に隠されたエゴイズム、我が侭ぶり、図々しさやいかにも女性らしい底意地の悪さなど。それを鋭く見抜くエレノアに対し、ロッティはアガテを姉のように優しく見守るのだが。ま、ロッティはハルヴィックをもはや愛してはいないので、アガテが恋敵というわけでもなく、この態度の違いは当然と言えば当然のことである。

さてこの中篇小説は、オールドミスのロッティの平穏な人生の転機を描いたものと言える。
ハルヴィックの困窮をロッティは、亡父秘蔵の貴重な時計コレクションを売ることによって助けてやる。誠実なロッティには、繊細で神経質なハルヴィックを自分が見捨ててしまったという負い目があった。彼女は昔救うことのできなかったハルヴィックに、今度こそ手を差し伸べたいと思ったのである。結果的にロッティの犠牲は全く無駄に終わってしまう。しかし唯一の宝を手放したロッティは、それよりもっとずっと貴重なものを発見をする。子供の時から自分をずっと見守ってくれていた、ゴットフリードの愛に……。

読んでいてまどろっこしい部分も多少ある。(特に会話が冗長で回りくどくて、文章を何度か読み返してみないと何が問題なのか全然わからなかったりした。)だがエーブナー=エッシェンバッハは(当時のウィーンではまだ稀であったであろう)自立した女性の生活を鮮明に描写し、さらに道徳的で押しつけがましくなることなく、彼女の理想とする(であろう)穏やかで深い愛の形を描き出した。また、作家は本来金銭と引き換えに文章を書くべきではないとの信念を持っていたエーブナー=エッシェンバッハは、金を得るため追われるようにして作品を書き続けるハルヴィックを商業作家に対する皮肉として描いているふしもある。

この作品を描くためにエーブナー=エッシェンバッハは時計の技術についていちから学び、自ら時計を修理できるまで腕を磨いたそうである。(彼女の高級懐中時計コレクションは現在ウィーンの時計博物館に展示されている。)そのためロッティの時計に対する愛情や彼女が時計を修理する様子などは、非常に詳しく克明に描かれている。

また、最近エーブナー=エッシェンバッハの作品がフェミニズム的視点から再評価されているそうだが、さもありなん。ロッティは男を立て、自分を「世間知らずのオールドミス」と卑下してみせる奥床しさを持つが、他方で大人の女性として経済力だけでなく、知恵と分別と決断力をも持ち合わせている。ハルヴィックとの婚約はロッティのほうから解消するのだが、その当時はまだ婚約解消というのは男と女の名誉に関わることで、おいそれと出来るようなことではなかったのだ。(似たような婚約を巡る問題は『分別と多感』にも十分に描かれている。)だがロッティは因習に囚われず、自分の正直な気持ちと愛情を重んじる。
この小説には女性の権利や解放を声高に唱えるような猛々しさはない。しかし結婚という枠外にも存在する女性の生き方を、ロッティというモデルを通して提示してくれているのだ。地味だが味のある作品である。

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原題: Lotti, die Uhrmacherin
著者: Marie von Ebner-Eschenbach (マリー・フォン・エーブナー=エッシェンバッハ)
出版年: 1880

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