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メリー・スチュアート

ツヴァイクの長編伝記作として日本で有名なのは『マリー・アントワネット』、『ジョゼフ・フーシェ』あたりだと思うのだが、岩波文庫には入っていないこの『メリー・スチュアート』もツヴァイクの傑作である。(新潮文庫には入っているようだが。)

特に『マリー・アントワネット』と『メリー・スチュアート』を比較してみると興味深いのだが、ツヴァイクはこの両者が共に女の本能に従って生き、それが結局は破滅へとつながったと見ている。2人は皇女の誇りと風格、美貌と気品を持って生まれてきているのだが、いかんせん政治的な嗅覚や才覚をほとんど有していない。そのため最も政治的手腕が問われる場面で、自分の女としての幸せを優先するという愚行を何度も犯してしまうのだ。さらにツヴァイクはこの2人の対照像として、歴史的にも稀有な2人の有能な女性政治家を舞台に登場させる。マリー・アントワネットの母、マリア・テレジアとメリー・スチュアートの天敵、エリザベス一世である。

マリア・テレジアは小説の途中で亡くなってしまうが、エリザベス一世はメリー・スチュアートの生涯最大のライバルとして最後まで彼女に立ちはだかる。ことあるごとにスコットランドの政治に干渉し、騒乱後に亡命を求めた彼女を幽閉し、さらにその10数年の後に彼女の死刑執行書にサインをしたのがエリザベス一世なのだ。
またメリー・スチュアートは3度も結婚を繰り返し、それが結果的に彼女の悲劇へと繋がっていく。しかしそれとは対照的に、エリザベス一世は「私は国と結婚した」と宣言して生涯独身を通し(愛人は何人もいたが)、当時のイギリスを繁栄へと導くのだ。そういった両者の詳細な比較も作品に深みを与え、読者に具体的なイメージへの手がかりを与えてくれる。

さらにツヴァイクは陽気で人を信じやすく、軽はずみだが勇気のあるメリー・スチュアートと対をなすライバルとして、エリザベス一世をヒステリックで猜疑心が強く、極めて曖昧な性格の持ち主として描いた。エリザベス一世のこの性格描写も微に入り細をうがち、ツヴァイクはメリー・スチュアートでなくエリザベス一世を描きたかったのか?と勘繰ってしまいたくなるほど。結局この小説もメリー・スチュアートの生誕から話が始まるが、エリザベス一世の死によって幕が閉じられる。

この小説のクライマックスともなるメリー・スチュアートの処刑の場面は特に圧巻で、彼女の凄惨な最期(断頭)がツヴァイクの豊富な語彙をもって詳細に語られる。
最後の日、メリー・スチュアートは入念な準備を整えてから処刑台に赴く。女王としての威厳をもって死に向かうことが彼女の最後の務めであったのだ。当時はギロチンという便利なものがまだ発明されていなかったので、覆面の首切り男が斧を首が切れるまで何度も振り下ろしたのである。そんな状況でも彼女は立派に死んでみせねばならない。しかし当然のことながら、メリー・スチュワートも一撃では死ねない。彼女が後頭部に最初の一撃をくらってうめく様などは、読んでいて皮膚が泡立つような気にさせられる。最後は処刑人が切られた首の毛を掴んで観客に首をさらそうとするのだが、毛を掴んだ途端にかつらだけが手に残り、頭は転がってしまう。そしてその頭を再び持ち上げようとすると、また滑る。……彼女の頭部はつるつるに剃られていたのだ。
こういった描写がどこまで史実に基づくものなのか、どこからがツヴァイクのフィクションなのか、私には知るすべもないが、拵え事とは思えないほど生々しく迫ってくる場面である。

これは歴史書や伝記としてだけでなく、読み物としても十分面白い本である。またメリー・スチュアートについては様々な本が書かれているので、色々読み比べてみるのもいいと思う。

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原題: Maria Stuart
著者: Stefan Zweig (シュテファン・ツヴァイク)
出版年: 1935
日本語版
翻訳者: 古見 日嘉
出版社: みすず書房(ツヴァイク伝記文学コレクション 5)
または
翻訳者: 高橋 禎二/西 義之
出版社: 新潮社(新潮文庫)

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