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イザベラ・フォン・パルマ

イザベラ・フォン・パルマ(1741−1763)、ほとんどの日本人には馴染みのない名前である。この女性はフランス国王ルイ十五世の長女、ルイーズ=エリザベトがスペイン王宮のフィリップ(スペインのフェリペ五世の四男で、後のパルマ公爵)との間にもうけた最初の子供である。
スペイン王宮で生まれ、少女時代の一部をフランス王宮で過ごし、その後7歳の時に母と共に父のいるイタリアの(サッカーの中田選手で有名なあの)パルマに赴いたイザベラは、そこで結婚するまでの十数年間を過ごす。その後フランスとオーストリアの外交政策上の必要性から、1760年にイザベラはヨーゼフ二世(つまりマリア=テレジアの長男)の元に嫁ぐ。そのわずか2年後に彼女は21歳という若さで天然痘を患って亡くなってしまう。しかし非常に多才で類い稀な知性を有していた彼女の死は多くの人に悼まれた。

私がこのイザベラ・フォン・パルマに興味を持ったのは、つい最近のこと、『マリア=テレジアの娘たち』を読んだ時のことだった。彼女はマリア=テレジアの秘蔵っ子、マリー=クリスティーネと非常に親密な関係にあったらしいのだが、それが普通の友情の域を越えたものだったらしいと仄めかされていたのだ。それに気をひかれた私が参考文献に目を通してみると、タムッシノが著したこの『イザベラ・フォン・パルマ』が見つかったので、読んでみた次第。
個人的には、悲劇の皇妃だの薄幸の佳人だのともてはやされているあのエリザベートよりずっと深みがあって、興味をそそられる人物だった。このイザベラもエリザベートと同様に鬱気質で死に憑かれたようなところがあったが、エリザベートとの決定的な違いは心から死を望み、死を恐れなかったところかもしれない。
その鬱気質の理由は、第一に遺伝的なものだっただろうとタムッシノは推察する。イザベラの父方・母方の祖父とも鬱に悩まされていたことから、それが孫娘の彼女に受け継がれたのであろうと。さらに、一日も早く世継ぎをと期待されながらも、その大任を果たすことが叶わず(長女を産んで後のイザベラは何度も流産を繰り返した)、それもイザベラにとって大きな重荷であったらしい。

だがこのイザベラは自分の内面を押し隠し、対外的には快活で陽気に振舞っていた。そんな彼女の真の姿に気づくことのなかったヨーゼフ二世は、イザベラにぞっこん惚れ込み、生涯彼女の死から立ち直ることができなかった。このヨーゼフ二世はイザベラと彼が相思相愛の仲だとすっかり信じきっていたのだが、イザベラのほうがヨーゼフ二世を愛していた痕跡はない。イザベラが上記のお気に入りの義妹マリー=クリスティーネに宛てた300通以上もの手紙や紙片には、その必要がある時に限って「大公」とだけ書かれ、ヨーゼフ二世の名前すら出てこないのだ。(マリー=クリスティーネが彼女に宛てた手紙は、イザベラの死後マリー=クリスティーネ自身によって焼き捨てられてしまったらしく、残念ながら残っていない。)
しかしマリー=クリスティーネに対するイザベラの愛情は熱烈である。現存している手紙のいくつかが本書に収録されていたが、イザベラのマリー=クリスティーネに対する呼びかけからして(「愛する友よ」、「私の天使」、「最愛のロバちゃん」、「敬愛し、賛美し、愛すべき聖なる妹よ」……)その愛情の深さがうかがえる。手紙の内容は多岐に渡っているようだが、中には痔のことまで触れているものもあるそうだ。また2人はいつも互いのことを思っていられるようにとの理由から専用の便器を交換して(!)使っていたそうである(202-203ページ)。
衝撃的なのは、手紙の本文中に赤裸々な愛の言葉がいくつも散りばめられていることで、そのいくつかをここに引用してみると……

おはよう、愛する妹よ。まだちゃんと目が覚めていないので、あなたの質問に的確に答えられません。でもこう書いたらいいかしら。私は元気で、あなたのことを狂ったように愛しています。そしてあなたに接吻したい。また、うっとりあなたに見とれて、接吻して、あなたからも接吻を受けたい。(203ページ)
最愛の、最も大切なダーリン。イギリス人の侍女が来る前に、もっと早くあなたに手紙を書きたかったのだけれど、誰が朝の7時前に起きられることでしょう。さようなら、私の慰めよ。あなたが私のことを想ってくれているなんて、本当に素敵なこと。今日の10時半にあなたに会えるといいのだけれど。もう一度、さようなら。あなたの可愛らしいお尻にキスをしておくわ。(204-205ページ)

著者のタムッシノは、情熱的な愛の手紙だけを意図的に選んで本書に収録したわけではなく、大抵の手紙がこんな調子で書かれていることをわざわざことわっている。
タムッシノによると、これまでに書かれたイザベラやヨーゼフ二世の伝記においては、イザベラとマリー=クリスティーネの関係が無理にも軽視される傾向にあったそうである(つまりこの2人の仲を何とか単なる友情として見なし、同性愛的傾向を払拭しようと努めていた)。そういった傾向をタムッシノは批判しているものの、この2人が単に深い友情で結ばれていたのか、精神的(プラトニックな)同性愛的関係にあったのか、それとも肉体関係を結んでいたのか、本当のところについては自身も明言を避けている。
さらにタムッシノは女性の同性愛と友情の歴史について文学的、社会的観点から多少考察を行うのだが、それがまた興味深いものだった。特にその部分は、短いが一読の価値あり(13章、Amitié amoureuse)。

しかし、イザベラとその義妹との親密な関係だけが有名なのではない。彼女の知的水準も当時の貴族女性の群を抜いていた。(男性に対する嫌悪感からか?)女性の社会的立場に関するフェミニズムの嚆矢とも言えるような文章や、(当時出版されてすぐに発禁処分を受けた)ルソーの『エミール』を読んだ後著されたらしい教育論が残っているし、当時のプロイセンの軍備について書かれた文書にも彼女は興味を持っていたらしい。また彼女は音楽や絵画といった分野でも少なからぬ才能を有していたらしく、彼女の手による銅板画なども本書にいくつか収録されている。(銅板画のほうは大して上手いようにも見えなかったが。)
イザベラの知的水準は、当時の文学者や哲学者のそれには到底及ばないものの、彼女の円熟と共に大きく開花する可能性を秘めていたのだった。それがまだ21歳という若さで永遠に失われてしまったのは、ヨーゼフ二世とマリー=クリスティーネにとってだけではなく、ウィーンの宮廷にとっても大きな損失であったかもしれない。(タムッシノ自身は、イザベラが存命であればヨーゼフ二世に大きな影響を与え、ひいてはヨーロッパの歴史をも変え得たかもしれないとまで書いている。尤も、そうするとイザベラのヨーゼフ二世に対する無関心が、ヨーゼフ二世に気づかれてしまう危険性も大きかったわけであるが。)

ウィーン宮廷に嫁いで僅か2年で亡くなってしまったにも関わらず、今でも一部の人々には大きな評価を受けているイザベラ・フォン・パルマ。彼女の名はもっと有名になって然るべきという気持ちもあるが、いかんせん彼女に関する史料が数少ないので、残念ではあるが現状もむべなるかなというところ。
本書も良書だと私は思うのだが、英語にすら訳されていないらしいところを見ると、やはりイザベラに対する注目度はかなり低いらしい。せめて彼女があと5年長く生きていたら……。色々な意味で惜しむべき女性だと思う。
[2004/01/31]

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原題: Isabella von Parma
著者: Ursula Tamussino (タムッシノ)
出版年: 1989

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(C) Hana 2004 ウィーン今昔物語