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藤沢周平――負を生きる物語

藤沢周平ファンの私に実家の母が送ってくれた1冊。
題からもわかる通り、著者の高橋氏は藤沢周平の小説の「負の要素」に注目してこの本を書いている。藤沢周平はまず、「暗」とも言えるような雰囲気の小説を書くことから作家活動を開始し、そこで自身の暗闇を吐き出すようにして救いのない物語を書き続ける。その時期が一段落すると、少しずつユーモラスな方向に作風が転調して行き、そこで青江又八郎を主人公とする用心棒シリーズや同様の連作短編平四郎シリーズなどが生まれた。それでも藤沢作品の根底を流れる「負」又は「暗」的要素が払拭されたわけではなく、静かな日常の中にも拭い切れない「切なさ」や「哀しさ」のつきまとう作風は最後まで変わらなかった。(その傑作が『蝉しぐれ』だと私は思っている。)

高橋氏は藤沢周平の最大の魅力でもあり、様々な形で作品中に表れるそういった陰の要素を「負」と表現し、そこに主眼を置いて本書を書き上げた。さらに代表的な作品を大まかに分類し(武家もの、市井もの、連載もの、捕物もの……)、その中で複数の作品を比較しながら、そこに共通する「負の要素」を取り上げ、分析していく。
一作一作藤沢周平の作品を読んでいくだけでは中々気づかないような点、あるいは心に響く最後でもなぜそうなってしまったのか、頭ではうまく理解できなかったモヤモヤのいくつかを本書が晴らしてくれた感がある。特に第1部の1章の『又蔵の火』の解説などは、これまで私がそれとはっきり意識しないまま何となく感じていた「なぜ」を明解にたちきってくれた。また私が表層的に読んでたいして感心もしなかった作品の本質や深みといったものが目の前に突き出されたように感じた瞬間もあった。

第1部では上記のような藤沢作品の解説が主だが、第2部では小菅留治(藤沢周平の本名)の生涯と作家藤沢周平の誕生、また同時代の歴史作家と藤沢周平との比較などについて語られる。ただページ数の関係からか、特に闇と死と背中合わせで、後の作風に大きく影響した藤沢周平の半生については手短にまとめられ過ぎている気がして物足りなかった。(この点については、文藝春秋編の『藤沢周平のすべて』に収録されている藤沢周平自身のエッセイで語られているので、興味のある方はそちらを読まれることをお薦めする。)
だが、司馬遼太郎や山本周五郎と藤沢周平の具体的な比較、その視点や人間の生、さらには歴史に対する姿勢の違いなどについては非常に面白かった。またなぜ藤沢周平が時代小説を書き続けたのか、という分析にもなるほどと感心させられた。

というわけで、藤沢周平ファンはおろか、それほどのファンでなくとも本書を楽しんで読むことができると思うのだが、ひとつだけ気に入らない点があった。それは著者の高橋氏の藤沢作品への思い入れが大きいからなのか何なのか、何度も「これでしばらく生きていける」というフレーズを繰り返すことなのだ。数えてみると、最初の5ページでこのフレーズが9回も使われている。
高橋氏は一所懸命なぜ「これでしばらく生きていける」のか、伝えようとしているようなのだが私にはその意図がさっぱり理解できなかった。月並みな表現だが、本を読んで「感動した」、「勇気を与えられた」、「生きる力がわいてきた」というならわかる。しかしなぜ「これでしばらく生きていける」になるのだろうか。
私にとって「これでしばらく生きていける」というのは、この数週間か数ヶ月水粥くらいしかすすったことのないような飢餓状態でコップ一杯の牛乳を飲めた時にやっと口をついて出るような言葉である。それくらい切羽詰まった状況でなければ、つまり本に感動したくらいでは出てこない。言葉の重みは各人によって感じ方が違うと思うのだが、それにしても高橋氏の「これでしばらく生きていける」の多用において私は非常な違和感だけを感じた。それによって高橋氏は、自身の藤沢作品に対する愛情度を感動とを絶妙に言い表したつもりのようだが、それが伝わって来ない。
藤沢作品についてあれほど深みのある言葉で理知的に語ることができたのだから、自分の感動についてももう少し抑制をきかせた形で語ることはできなかったのだろうか?[2004/01/18]

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原題: 藤沢周平――負を生きる物語
著者: 高橋 敏夫
出版年: 2002

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