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半七捕物帳

この半七捕物帳は私の思い出の本なのである。当時小学生だった私に、ある日父が神田の古本屋から半七捕物帳を買って来てくれた。旺文社文庫から出版されていたそのシリーズは全部で6巻出ていたのだが、そのうちの1巻だけが欠けていた。それでも私は夢中になって半七捕物帳を繰り返し読んだのだが、欠けている1巻だけが読めない。しかし当時旺文社文庫の半七シリーズは既に絶版となっていたため、書店にその1巻を注文することも出来ない。仕方なく私と父は神田の古本屋を何度も回って、ようやくその1巻を見つけて買うことができたのである。
だがこの後すぐに別の出版社から半七シリーズが出て、(市場の価値は低くとも)絶版ものの半七捕物帳を所有しているという私と父のささやかな喜びは半減してしまった。

多分これが、私が大人の時代小説に触れた最初なのである。それまでの私は赤川次郎に夢中で、神田で父に買ってもらう本も赤川次郎ばかりだったのだが、この半七捕物帳に触れたのを機に杉本苑子や永井路子などの歴史小説も読むようになったようなおぼえがある。
しかし、小学生や中学生の頃の私が半七捕物帳をどれだけ理解していたのか、と今になって思ってしまう。今回実家から当時父に買ってもらった半七捕物帳が送られてきたのでまた読み返してみたのだが、昔の私が読み飛ばしていた時代背景の説明や風景や風俗描写、はたまた古臭い言葉遣いなどがひとつひとつ面白い。子供だった頃の私はただ単に、事件の筋だけを追うのに夢中になり(それも十分に楽しいものだったが)、半七老人のまどろっこしい説明やら作者である岡本綺堂の本業である劇や歌舞伎についての言及などはろくに読んではいなかった。
本筋だけでなく、そういった脇の要素も今の私には読み甲斐がある。最初に半七捕物帳を読んだ時から今まで15年以上時が経っていると思うのだが、それでも私の感動は薄れるどころか深まって行く。これが半七の、または岡本綺堂の筆致の魅力なのかと今更ながらに思ってみたり。

ここで書き添えておくと、『半七捕物帳』は題からすると江戸の探偵物語といった印象を与えるが、厳密には推理小説とは一線を画す。というのも、シリーズ内で綺堂青年に昔語りをする半七老人は、大抵の場合中途まで自分の手柄話を語ってから、パッと種明かしをしてしまうのだ。また読者に与えられる手がかりも少ないので、犯人の目星はついても事件の概要までは半七老人の解説を待たないとわからないようになっている。
だからと言ってそれがつまらないわけではなく、意外な結末や複雑な人間関係に驚かされたり唸らされたり。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものだと私は常々感心していた。しかしである、このたび文庫の巻末に収録されている岡本綺堂の養子、岡本経一による後書きを(初めて)読んで知ったのだが、半七はどうやら架空の存在らしいのだ。(綺堂本人は、読者の想像を邪魔しないためにという理由のもとに半七が実在するともしないとも、明言を避けている。)私は頭からこの『半七捕物帳』は綺堂青年が半七老人から聞き取ったものを小説風にまとめたお話だとばかり思っていたので、今回の新発見はまさに青天の霹靂であった。子供時代から私にとって半七はサンタクロースと比較にならないくらいのリアリティを備えた人物であっただけに、彼が実在しないかもしれないというだけで大ショックである。
よくよく考えてみるに、だからこそ妙に都合のいい偶然が続くわけだ。たまたま半七が出かけた先で事件の鍵を握る人物を見かけたり、重要な聞き込みをしたり。私はそれを、半七の天性の岡ッ引的才能に加えて綺堂が半七老人の話を適当に編集したからだと思い込んでいたのだが、きっとこの偶然の連続は綺堂が小説の筋における都合のよさを優先した結果なのである。それでまたひとつ子供時代の夢が消えてしまったとショボン。
その他物の怪や妖怪など、人知の及ばない不思議な要素も半七捕物帳には時々出てくるのだが、それもフィクションなのかもしれないというのはいかにも残念。だが逆に言うと、綺堂はそういった不可思議な現象や怪しげな小物を効果的に配置することで、前近代的大都市であった江戸の陰鬱な様子をうまく描写している。そのくせ半七自身は合理的で理論的で、迷信や蒙昧さに惑わされない人物として描かれている。この対比が『半七捕物帳』の魅力のひとつでもある。それでいて何もかもが半七によって解決されるわけではなく、時には何だか説明のつかない不思議が残ってしまうこともある。このあっちとこっちの埋められない「間」が半七の世界に得体の知れない現実味を与えているようで、私は大好きなのであるが。

それから上にも書いた通り、古臭い言葉遣いも魅力的である。「生死」に「しょうし」とルビがふってあったり、「駒方」が「こまかた」であったり(これは岡本経一の解説によると江戸弁らしいが)。あるいは「寸善尺魔」などという見慣れない慣用句に註釈がつけてあったりもする。
雰囲気や習俗だけではない、『半七捕物帳』では言葉を通じても江戸時代にポシャンと飛び込めるようになっているのだ。綺堂は明治5年の生まれだという話だが、それでも周囲には江戸を知っていた人間が何人もいただろうし、自身も江戸の世界をだいぶ研究したのだろう。話し言葉から解説から、ちょっとした慣用句までが、江戸の世界を具現しているといっても過言ではない。そういう点では篠田鉱造の『明治百話』と似通っているような。『明治百話』では明治初年の逸話が話し言葉でもって収録してあるのだが、中には江戸時代の話も混ざっていたりするのだ(上巻1話目の『首斬朝右衛門』などはその好例である)。この両作品を読み比べてみるのもまた面白い。
他の江戸モノ文学でも私が好きな作家はいくらでもいるのだが(池波正太郎や藤沢周平、杉本苑子など)、やはり言葉遣いのほうはそれなりに現代風である。それがそれぞれの作家の描き出す江戸の町の雰囲気を壊しているというわけではないのだが、『半七捕物帳』を読んでみると、その言葉遣いから醸し出される「お江戸」の空気が他と比べてちょっと特別な現実感をこの小説に付与しているようにも思える。

……半七捕物帳には思い入れが深いので、ダラダラとここまで書いてしまった。
現代風の小説を読み慣れた人には、この本は妙な言い回しの多い回りくどい本に見えるかもしれないが、実は噛めば噛むほど味の出てくるスルメ風の本でもある。だからとっつきにくいように思えても、そのうち面白さがジワジワと広がってくるはずなので、すぐに諦めずに少しずつでいいから根気よく読んでもらいたい1冊でもある。[2004/01/18]

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半七捕物帳(光文社文庫 第1巻)、 半七捕物帳(春陽文庫 第1巻)、 半七捕物帳(単行本 第1巻)
その他:

原題: 半七捕物帳
著者: 岡本綺堂
出版年: 1917(平和出版社からの初出)

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