HOME > 書評目次 > 読書の記録 > 生麦事件

生麦事件

私が読む歴史小説というのは大抵何らかの人物に焦点が当てられていて、その人物を回るようにして話が語られる。或いは人物の代わりに場所や建物や家族に焦点が当てられている場合もあるが、それでもひとつの中心点というものが存在しており、本の著者及び読者の注意はそこに向けられる。
ところが本書は、徳川幕府を根底から揺るがせるきっかけとなった生麦事件そのものを扱い、特に人物や場所には焦点が当てられていない。つまり小説というよりは、既に歴史書といったおもむきの本となっているのだ。そのため私は本書を読み進めるのにひっかかりがなさすぎるように感じて、物足りなかった。何と表現したらいいのか……、つまり客観的記述にこだわっているのはいいが、それが客観的に過ぎて、また個々の事物も詳述され過ぎている感じで、とにかく娯楽小説という雰囲気ではない。そのためかなり読みづらい。もう少し細部を省略し、本を読む上でとっかかりとなる中心点を据えてくれたらよかったのだが……。
しかし薩摩藩や長州藩、徳川幕府、西欧からの外交官といったひとつの視点を定めてしまうと、事件全貌を俯瞰するというよりは、ある角度からこの事件を眺めるといったおもむきの小説になってしまう。それを防ぐために吉村氏は敢えて読み難さを承知の上、鳥瞰図のような形で本書を著したということなのかもしれない。

私は以前、同氏の著した『ふぉん・しいほるとの娘』という、シーボルトの娘のお稲の生涯を描いた小説を読んだことがある。その小説の中でシーボルトは随分自分勝手な、日本を馬鹿にした名誉欲に憑かれた人物として描かれているように私には思えて仕方がなかった。例えば彼は国外に持ち出すことを厳しく禁じられていた品々をかたっぱしから集め、密かに故国へ持ち帰ろうとするのだが、それが幕府に知れてしまう。しかしそれでもしらばっくれる。そして禁制物収集に尽力してくれた、或いはその疑いをかけられた周囲の日本人たちが次々に詰腹切らされた後に何とか事件を誤魔化して帰郷し、当時随一の日本研究家として名を成したのだ。
「何で吉村氏はここまで書きながら、シーボルトのエゴイズムを面と向かって指摘しないのだろうか?」と私は歯痒いばかりの思いで、一連のシーボルト事件について読んだおぼえがある。しかし今この『生麦事件』を読んで考えるに、(特に歴史的事件について)氏は事実を淡々と積み重ね、記述していくことに徹し、読者自身が氏の著作を読んで個々の意見や見解を持つようになることを意図しているのかもしれないという感じを受けた。

本書は特に難解な本というわけではないが、その細かさととっつきにくさから、途中で読むのを諦めてしまう人も少なくないのではとも思わされた。吉村氏自身が後書きで、生麦事件そのものを扱った本というのはこれまでなかったと述べられているが、もしかしたらそのために(つまり後世の資料として役立つ本を書くという意味で)なるべく細かい状況説明まで必要という風に考えられたのかもしれない。
そういう意味では、生麦事件の全体像を詳しく知りたい、或いは幕末の政情について調べたいという人にはもってこいの本だと思う。ただ上述したように、一般的な歴史小説とは一線を画しているので、そういうものを求めている人は失望してしまうかもしれない。
[2004/02/07]

アマゾン.jp へ:生麦事件(新潮文庫 上新潮文庫 下単行本)、 ふぉん・しいふぉるとの娘 (新潮文庫 上新潮文庫 下

原題: 生麦事件
著者: 吉村 昭
出版年: 1998

HOME > 書評目次 > 読書の記録 > 生麦事件
────────────────
(C) Hana 2004 ウィーン今昔物語