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かなり気がかりな日本語

フランス語教師で、さらに日本語教師でもある筆者が最近の日本語の乱れについて苦言を呈しつつ、そのどこがおかしいのか詳細に説明してくれている本である。特に実際例が多いので、わかりやすい。私自身もなるべく正しい用法の日本を書き、話そうと努めてはいるが、本書を読んで自分の日本語感覚の不確かさに改めて気づかされたような気になった。
ただ、インターネット上でも最近の日本語の乱れについてはよく議論されていることだが、それがどうしても「生きた言語が変化していくのは仕方がない」、「昔のこんな間違いも今は正しいということになっているじゃないか」という方向に、瑣末視される傾向にある。それを著者の野口氏がどのように捉えているのか、御本人は特に言及されていないが気になった。しかしところどころで、「こういった用法も今は市民権を得ているようだ」という書き方をされているので、半ば日本語の変化(或いは誤り)を容認しつつあまりにひどい逸脱には目をつぶれないといったところか。

本書における野口氏の指摘は主に話し言葉の乱れに留まっている。だが果たして50年前、100年前の日本人がそれほど正しい日本語を話していたのかどうか、それは疑問の余地が残るところだ。話し言葉は基本的に残らないものであるし、パッパと口をついて出てくる。だからこそ影響されやすく、乱れやすくもあるわけだが、逆に言えばその乱れは比較的表層的なものであるというようにも思える。
話し言葉の対極に位置する書き言葉はと言えば、元々はインテリ階級のものであった。それが明治維新以降の教育の均等化により国民のほぼ全員に広まっていったわけだが、それでもその書き言葉をある一定のレベルまでマスターしている人間というのは、現在でも実はそれほど多くはないと思う。
だが、まがりなりにも国民のほとんどが日本語の読み書きができるというこの状況下で情報媒体が急速に発達し、そのために非常な勢いで言葉の流行り廃りが起きるようになってきた。テレビやラジオもそうだが、特にインターネットの普及が言葉の流行りだけでなくかなりの誤用を広めてしまったように思える。「ふいんき」、「的を得る」、「こんにち」、「〜とう」、「私の文(絵)を読んで(見て)やって下さい」、「おねさん」、「やむ得ず」……などという言葉遣いを頻繁に目にし、何となくそれが正しいのだろうと思ってしまう人も多いだろう。

こういった言葉の乱れや誤用が現在様々なメディアを通して広まっている様は、従来の「言語の変化」というレベルをとっくに通り越した勢いをもっている。「あらたしい(新しい)」が「あたらしい」に、又は「しょうけい(憧憬)」が「どうけい」として受け入れられるのに、一体何十年かかったのだろう?その何十年かが今では数年に縮められてしまっている。これでは識者の違和感と苛立ちが大きいのも当然の話かもしれない。

ただ、私が今読んでいる『現代ドイツ語の傾向』という本によると、昔ドイツでも同じようなことがあったらしい。19世紀までに確立したドイツ語の書き言葉というものは知識階級のコミュニケーション手段で、難易度も相当に高かった。しかし19世紀半ばに農奴解放令が出されると、田舎から大都市に人口が一気に集中し、そこで新しい労働者階級というものが生まれた。この新労働階級の書き言葉に対する影響力は非常に大きく、ここで話し言葉の要素が書き言葉に入り込み、それによってドイツ語の書き言葉はより単純で実際的で、形式ばらないものへと変わっていったというのだ。
現在の日本語の乱れも、もしかしたらより多くの大衆が日本語に触れるようになったために起きている「言葉の単純化」というものかもしれないと思ったりするのだが、いかがなものか?

また人間というものはなるべく言葉を省略して楽をしようと色々工夫する傾向にあるそうだ。そのため記憶し、使うのが簡単なように文法は単純な形に作り変えられ、長い単語は発音し易いように省略される。しかし手軽さだけを追及すると、今度は言葉の中身、つまり言葉でもって伝達しようとする情報が伝わらなくなってしまう。そこで、省力(或いは省手間)と効率的な情報伝達の間を揺れ動きながら言葉というものは変遷していくものだそうなのだ。
上記の本の著者ブラウンという人は、「ドイツ語の乱れ」と批判されている言葉の変化を様々な角度から眺めて考察し、何らかの(それまでのドイツ語につきものだった)要素が疎かにされていく一方で、その損失を補ってあまりある新しい変化が同時に起きつつあることを種々のケースで指摘している。それと同様日本語の乱れの陰にも何か新しい動きがあるのではないかとも思うのだが、本書ではそこまで突っ込んだ考察がされていないのが残念なような。言葉の乱れについて嘆くだけでなく、歴史的・文法的・共時的視点からそういった乱れが未来に向けてどのような意味を持ち得るのか、じっくり考えてみることも必要なのではないかと考えさせられた。
[2004/03/02]

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原題: かなり気がかりな日本語
著者: 野口 恵子
出版年: 2004

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