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最後の時まで

1942年にヒットラーの秘書として雇われ、終戦まで彼と行動を共にした女性が書き記した記録。「怪物」、「独裁者」としてのヒットラーではなく、人情味溢れる気さくな「総統」としてのヒットラーについての記述が異色である。

終戦後ユンゲは記憶が薄れてしまわないうちにと自分の経験を書き起こしたが、その原稿が日の目を見ることはなかった。だが戦後何十年も経ってからある若い女性ジャーナリスト(メリッサ・ミュラー)がユンゲの元を訪れ、原稿の存在を知り、それを本にまとめることを提案する。そして元の原稿に加筆したものが本書として出版されたのである。

数々の偶然から、当時22歳だったユンゲはヒットラーの秘書として雇われることとなる。その過程がちょっと面白い。まず何十人もの候補者の中から10人の女性が最終候補として選ばれるのだが、その10人の中からなぜかユンゲだけがヒットラーのテストを受けることとなり、あっさり合格してしまう。(他の9人はテストを受けることすらなくいまま、送り返されてしまった。)これはユンゲ自身が語っているように、ミュンヘン出身の彼女のドイツ語をヒットラーが好んだためだろうが(オーストリアのほぼ全土及びバイエルンのドイツ語はバイエルン方言に由来するドイツ語であるために、アクセントや一部の語彙などが似通っている)、総統秘書としての能力以前にドイツ語の発音が云々されてしまうあたりに多少びっくりさせられた。かなりいい加減な選考方法である。

最初はコチコチに緊張していたユンゲだったが、父親のような優しさを見せ、いつでも礼儀正しいヒットラーに次第に気持ちを開いていく。そして以後彼女は本部や山荘などドイツ国内のあちこちへ、ヒットラーと(ほとんど常に)行動を共にするようになるが、その総統中心の生活はかなり退屈で、変化に乏しい。散歩や夜の談話など、いつでも総統の相手をせねばならず、朝の4時、5時までヒットラーの独言につきあうこともしばしばだった。
そんな中、彼女は側近の一人であるハンス・ユンゲと知り合い、仲良くなる。彼もまたヒットラーの人間的魅力に惹き込まれた一人だったが、「このままでいるとヒットラーに影響され続け、自分の頭でものを考えることができなくなる」との危機感を抱いていた。しかし前線への異動を願ってもそれは叶えられず、それでも何とかヒットラーの影響下から抜け出るためにと、彼とトラウドゥル・ユンゲ(旧姓フンプス;Humps)は、出会って3ヶ月後に偽装婚約をする。(どうやら同じ職場におけるカップルはどちらかが異動されてしまうという不文律か何かがあったらしい。)これは単なる偽装婚約だったのだが、ヒットラーは仲人役を演じることが好きだったらしく、2人を説得して本当に結婚させてしまう。そしてめでたく(?)ハンス・ユンゲは東方前線へと送られる。
多分このハンス・ユンゲという人は非常に直感力の優れた人だったのだろう。さもなければ、ヒットラーの身近にいながら魅せられることの危険さに気づき、その人間的魅力に抗うことなどできなかったのではないか。トラウドゥル・ユンゲがそれに気づくのは終戦後、何年も経ってからの話である。さらには戦後罰せられても、死刑に処せらることになっても、なおヒットラーに対する忠誠を捨てない者も多くいた中で、ハンス・ユンゲのその姿勢は稀有なものである。(しかし1944年頃だったか、彼は戦死してしまう。)

本書の3章までは、ユンゲが戦後しばらくしてから書き記したものなので、まだ批判的な記述が非常に少ない。だが4章から最終章の6章までは、本書のために彼女が新しく書き起こしたものであるため、細かい部分に穴はあるが、ヒットラー及びナチスに対する批判的姿勢が強まっている。特に面白く読めたのは、1944年のヒットラー暗殺失敗事件のあらまし(彼女はその場に居合わせたのである)と終戦間際のヒットラーの自殺の様子及びその後のベルリン本部からの集団脱出の様子であろうか。
ユンゲの記述はこの脱出行までで終わり、その後の彼女の半生については編者のミュラーが手短にまとめている。ソ連軍に囚われたユンゲは、しばらくの間ソ連の占領地に留め置かれるが、思い切ってそこから脱出を試み、アメリカに占領されていた故郷のミュンヘンへと舞い戻る。そこで彼女は秘書として働き続け、ジャーナリズムの道へと足を踏み入れるようになる。その過程で次第にナチスドイツの蛮行及び、自分の過去と直面するようになり、彼女の苦しみは少しずつ深まっていったようだ。

彼女もヒットラーに人生を狂わされた人間の一人なのだろう。また、一己の人間の人生をそれほどまで狂わせてしまうほどに、ヒットラーの呪縛は強力だったということか。
ユンゲは本書を刊行しただけでなく、『死角〜ヒットラーの秘書』というドキュメンタリー映画にも出演して、自らの過去について語ったが、映画が公開される直前に亡くなってしまう。新聞の報道によると、映画の撮影が進めば進むほど彼女は弱っていき、それはまるで60年間分の毒が一気に溢れ出てきたようだったという。しかし最後の最後に映画に出演し、過去を語ることで、彼女なりに自分の過ちを償い、過去にピリオドを打つことができたのではないか。私としては、戦後何十年も自分を責め続けてきたであろう彼女が、最後の最後に自分を赦すことができたのだと思いたい。
[2004/05/28]

参考:本書に関するプレッセの書評 Zufriedenheit und gute Laune im Fuhrerbunker、及びユンゲ死去に関する記事 Hitler-Sekretärin Junge ist tot

アマゾン.jp へ:Bis zur letzten Stunde(独)、Until the Final Hour(英)
アマゾン.de へ:Bis zur letzten StundeIm toten Winkel (邦題『死角』のビデオ)

原題: Bis zur letzten Stunde
著者: Traudl Junge (ユンゲ)
出版協力者: Melissa Müller (ミュラー)
出版年: 2002

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