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オーストリア役人根性に関する一考察

先日面白い場面を目にした。
それは、「ビザが更新されたから、金と引き換えに受け取りに来なさい」というお知らせを警察署から受け取ったので、パスポートにビザをペタンコと貼ってもらいに出かけた時の出来事であった。各種書類の受け取りは、正時ごと(つまり8時、9時、10時……とキッカリの時間)に行われ、それ以外の何やかやの手続きは、番号札を取って何時間か待たされてから行われるので、私は警察署に11時少し前に着いてビザの交付が始まるのを待っていた。私の前には1人の中東系中年男性が立っていたのだが、この方少し急いでおられたようで、11時キッカリになってもまだビザ交付作業が始まらないためにイライラし出した。そして何度か執務室を覗いては「まだですか〜」と役人をせっつき、そのたびにリーダーらしきおばさまに「まだだから待っていらっしゃい」と多少きつく注意されていたわけである。

ここでひとつ書き加えておくと、オーストリアでは役人は絶対なのである。何か向こうの不備で問題が発生しても、常識的なオーストリア人ならそこで怒鳴ったり相手のミスを追及したりはしない。あくまで下手に出ながらそれとなく問題を指摘し、礼儀正しく改善を乞う。別に騒ぎ立ててもいいのだが、そういうことをすると、仕返しされる確率が高まると一般的に考えられているのだ。例えば苦労して集めて提出した書類が偶然紛失してしまったり、手続き完了のお知らせがいつまでたっても来なかったり、何度も取るに足らない書類上のミスを指摘されて書類の受け取りを拒まれたり……、不思議なことが相次いで起こりやすくなる。
私はそういうウィーンミステリーを話半分くらいにしか信じていなかったが、元々根が弱気な日本人ゆえに多少不当な目に遭わされてもグッとこらえてオーストリア風(或いは日本風)に振舞っていたわけである。そのせいか何か、大きなトラブルに遭遇したことはない。

ところが私の前に立っていたエジプト氏(後に彼がエジプト出身ということが明らかになったので、以下彼をこういう風に呼んでいく)は、そういったオーストリアの不文律をわきまえていなかったようであった。
そしてようやくビザの交付作業が始まると彼は真っ先に執務室へ入って行ったのだが、何やら揉めている。そこで耳をそばだてていると、どうやらエジプト氏は身重の妻のためにビザの受け取りに来たようなのだ。しかしおばさま役人は「ここオーストリアでは本人が書類の受け取りに来ないといけないんですよ」と説明し、ビザをくれない。それでも後に引かないエジプト氏は、いいからビザをくれだの何だのと粘る粘る。後ろで並んでいる私たち外国人一同がおばさま役人と一緒にイライラしてくるほど頑張る。
そこで元々気分を害していたおばさま役人はさらにムッとし、「本当なら彼女があなたの妻とはいえ、人の書類に署名しちゃいけないんですよ。これ以上ごねるつもりだったら、人の書類にサインした罪で告発しますよ」と遂に脅し始めた。しかし誇り高きエジプト男には男の意地というものがあり、女にアレコレ指図されるいわれはない、とエジプト氏が思ったかどうかまでは知らないが、さらに彼は数分粘った挙句に「OK、どうぞ告発でも何でもして下さい」などという捨てゼリフを残してその場を去って行った。もしかして、「オレを口先だけで脅すんじゃねぇや」などと考えていたのかもしれない。しかし中東地域とは違い、中欧地域には男に指図されたくない女がゴマンといることをエジプト氏は失念していた模様である。エジプト氏とやりあった後、おばさま役人は悠々と自分の席に戻り、部下にエジプト氏を告発するように言いつけていた。

後で人に訊いてみたところ、他人の書類に署名するという行為は、文書偽造の罪にあたるそうだ(本当かどうかは知らないが)。外国人がそんな罪で告発されたら国外追放になったりしないのかなと、私は他人事ながら僅かに心配したりもしたが、果たしてどうなのであろうか。いずれにせよエジプト氏はゴネ過ぎて、多大なるリスクを負ってしまったようである。

私はその直後ビザをもらいに部屋に入り、おばさま役人とちょっと雑談したのだが、場合によっては(つまり申請者のお行儀が悪い場合)、たかがビザの交付でもイチャモンをつけて相手に番号札を取らせる場合もあるそうだ。そうすると、最短で1〜2時間は待たされてしまう。運が悪いとその日はもう自分の番が回って来ないこともあり得る。遠いところからバスや電車を乗り継いでわざわざビザを交付してもらいに来た場合などは悲惨である。しかしおばさま役人はそんなこと知ったこっちゃないわけである。「無駄足を踏まされたくなければ、お行儀良くしていらっしゃい」というわけだ。
私はそこにオーストリアの役人根性を垣間見た見た気がした。そして今後も決して役人には逆らうまいと心に誓ったわけである。中島義道氏の『ウィーン愛憎』などにも、ウィーン人の意地悪さやガチガチの官僚機構ぶりがこれでもかというほど描かれている。『ウィーン愛憎』が出版されてからもう20年くらい経ったのではないかと思うが、その間文明は発達してもオーストリア役人の思考経路は殆ど変化していないようである。

多分この役人根性は今後も変わらないのだ。何せこれは中世以来の伝統と歴史あるハプスブルク帝国の残骸なのである。例え全てのお役所手続きがIT化され、無人君並みにお手軽なお役所手続きが可能になったとしても、オーストリアの役人は手続きを行うコンピュータープログラムにこの精神構造を組み込むことであろう。合理的に迅速にお役所仕事をこなすべきプログラムにそんな無駄ないちゃもん機能を組み込むのは不合理かつ非論理的かつ非効率に見えるが、それが伝統及び歴史の重みというものなのである。そして役人には市民を小突く特権が付与されて然るべきなのだ。一般市民はオーストリア国籍の有無や自分の主張の正当性に関わらず、その前に平伏すしかない。

この伝統ある理不尽なお役人根性には、外交的に対処する以外に道はない。ガチンコでは大抵こちらが跳ね飛ばされてしまうので、ムッとしても上述のようにあくまで礼儀正しく振舞うのがポイントである。相手の非を指摘する時は間接的に。どうしても文句が言いたいのであれば、全ての手続きが終了してから。
どうにも我慢ならない時には、ウィーン市長やナントカ大臣と友達になってからその威を借りて役人を萎縮させ、怒鳴り散らす自分を妄想してみる。……ことで少しは気が晴れるかもしれないが、多分晴れない。そういう時は諦めて不貞寝である。

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(C) Hana 2003 ウィーン今昔物語