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ファルコ (Falco)

オーストリアではその名を知らない者がいないというほどの有名ロック歌手、その経歴はアーノルド・シュワルツネッガーと比肩できるほどなのに、なぜか日本では(残念なことに)一部の人以外にはあまり知られていないのがこのファルコである。(無名度においては、多分前回紹介したニッキー・ラウダを上回るほど。)
ファルコの業績は、亡くなってから6年経とうとしている今でも高く評価されている。ファルコはオーストリア歌手人として唯一、全米ヒットチャートでNo.1に輝いただけでなく、白人最初のラップ歌手でもある。また標準ドイツ語とウィーン語と英語を混ぜ合わせ、語呂合わせに似た言葉遊びをも含む独特の歌詞を数多く生み出したファルコは、音楽だけでなく作詞の面でも大きな才能を発揮した。

1957年にウィーンで生まれたファルコは、本名をヨハン・ヘルツェル (Johann Hölzel) という。実はファルコは三つ子のうちの1人であったのだが、彼の2人の兄弟姉妹は流産により亡くなってしまい、ファルコだけが生き残って生まれ出てくる。(私の勝手な想像だが、ファルコはもしかしたら3人分の才能と不幸を背負ってこの世に生まれて来たのかもしれない。)
わずか4歳でピアノを習い始めたファルコは、幼い頃から多大なる音楽の才能を示し、聞いただけの音楽を両手で弾いてみせることができた。長じるにつれ、さらなる才能を開花させていったファルコは高校を中退して働き始める傍ら、バンド活動に情熱を傾けるようになる。そしてベースギタリストとしての活動が次第に本業より多忙になっていくと、ファルコは仕事を辞めてバンド活動一本で生きていくようになる。
ファルコという名前は1978年、東ドイツのスキー選手であったファルコ・ヴァイスプローク (Falko Weißpflog) から取られた。その Falko の k を Falco と、c に変えた名前を、ファルコは芸名として使い始めたのであった。

ファルコの成功は1981年、初めてのシングル “Der Kommissar” によってもたらされる。ラップ調でドイツ語、ウィーン語、英語、さらにはイタリア語をも混ぜたテキストの歌を歌うファルコのスタイルは斬新で、ドイツ語圏内だけでなくアメリカにおいてもファルコの人気は高まった。(アメリカのヒットチャートにランクインしたドイツ語圏歌手というのは、当時ファルコが初めてだったのである。)その後に出たアルバム “Einzelhaft” も大きな成功を博す。(後年ファルコはこれを彼のベストアルバムだと語っていた。)しかし1984年に出されたアルバム “Junge Römer” は大して売れず、この頃からファルコは成功へのプレッシャーから逃れるようにアルコールや薬物に耽溺し始める。(この2番目のアルバムは、時代の先を行き過ぎて当時は理解されなかったのだというのが、最近のファルコファンの見解であるようだ。)
しかしその翌年に発売されたアルバム “Falco 3” で、ファルコは沈滞期から抜け出す。特にアルバム内に収録された “Rock me Amadeus” は大ヒットし、オーストリアやドイツだけでなく全米のヒットチャートのナンバー1の座に輝いたのだった。しかしやはりこのアルバムに収録されていた “Jeanny” という曲はその歌詞が、誘惑、強姦、殺人……といったものを連想させる内容ゆえ、大きな批判にさらされた。そのため、多くの放送局がこの曲をボイコットした。

この “Falco 3” に収録された “Jeanny” (リンク先で試聴できる)に関しては、続編があるという説もある。アルバム “Emotional” に入っている “Coming Home” では「あれから一年後の僕たち」について歌われているのだが、それが(強姦されて殺されたと噂されていた)ジェニー生存を裏付けているらしい。また、ファルコ自身もそれをほのめかすような発言をしていたようだ。
元々、ジェニーは三部作として予定されていたようだが、途中でプロデューサーが変わったことで、3作目が作られずに終わってしまったらしい。それでも “Data de Groove” に収録された “Bar Minor 7/11 (Jeanny Dry)” をジェニー最終作の変形バージョンとして見たがる人も少なくないとか。(Jeanny Dry の Dry はドイツ語の3である同音の Drei に通じているというのだが、どんなものか。しかし歌詞を読む限りでは、この歌の調子は特に1作目とはだいぶかけ離れている。これで三部作を主張するには無理があるような気がするのだが……。)
この “Jeanny” 三部作説については、Die Jeanny “Trilogie” のページ(独)を参考にした。しかしこのサイト、他のページは大抵全部消されているようで、このページと他がちょこちょことだけが残っていた。消し忘れか?

1986年に出たアルバム “Emotional” や、“Sound of Music”、 “Coming Home” といったシングルもそこそこヒットしたが、この頃からファルコは自身の薬物・アルコール中毒以外の問題とも直面するようになっていく。特に彼の娘を産んだ恋人との関係は順調でなく、それでも子供のためにと1988年に2人は結婚したが、僅か309日後に離婚してしまう。
今日では高く評価されている “Wiener Blut” (1988) や “Data de Groove” (1991) といったシングルやアルバム “Nachtflug” (1992) も大して売れず、ファルコの焦燥感は深まっていく。また1993年には、元妻との間に生まれた娘の生物的遺伝的父親がファルコ自身ではないことも判明し、これによってファルコは精神的大打撃を受けた。

それでもファルコは音楽に関わり続け、1995年に出したテクノシングル “Mutter, der Mann mit dem Koks ist da” がそこそこヒット、その翌年に発売されたシングル “Naked” もそれなりに売れる。しかしそういった成果も過去の栄光には及びもつかず、ファルコは焦り続けていたようだ。同時に新曲の発表には臆病になり、最後に収録されたアルバム “Out of the Dark” の発売は2年も延期され、何度も歌が作られては録り直された。

このアルバムが日の目を見る前に、ファルコは1998年の2月6日、1996年以来移住していたドミニカ共和国で交通事故を起こして亡くなってしまう。事故の原因は、ファルコがアルコールだか薬物だかに酩酊した状態で車を運転したことだった。
享年41歳。42歳の誕生日を目前にしての唐突な、そして早過ぎる死であった。

参考:
アマゾン.jp へ:ファルコのアルバム
アマゾン.de へ:ファルコのアルバム(ここでは各アルバムに収録されている曲全てが試聴できる)
ファルコの公式サイト:http://www.falco.at/
(このサイトは英語とドイツ語で書かれている。またここでは全てのアルバム、シングルのジャケットが公開されているだけでなく、“Rock me Amadeus” や “Sound of Music” などのビデオを見ることもできる。)

その他、ファルコの歌の歌詞はそこかしこで全文公開されているので、グーグルで検索をかければすぐに見つかる。

最後に。
私は熱烈ファルコファンというわけではないので、ファルコの音楽を評すことはできません。(元々音楽に疎い人間ですし。)しかし Melochan さんという方が、ファルコの各アルバムなどについて詳しい感想を書かれていらっしゃいますので、興味のある方はそちらへどうぞ。(このページよりもファルコについてよっぽどわかりやすく、思い入れたっぷりに語っていらっしゃると思います。)
ファルコについて:http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9451/falco/falco.html
ファルコのディスコグラフィー(各アルバムのレビュー): http://www.geocities.co.jp/MusicStar/9451/falco/falco2.html

[2004/04/25 改]

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