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KHG

KGB(カーゲーベー)ではない、KHG(カーハーゲー)である。これはオーストリア国民お気に入り閣僚(大蔵大臣)、カール=ハインツ・グラッサー(Karl-Heinz Grasser)の略称なのである。かなりのはしょり方だと思うが、これはある時期を境に一気に広まり、今ではKHGの三文字はそれだけで大蔵大臣の別称とまでになってしまった。

グラッサーは元々自由党に属していて、一時はハイダーの後継者とも噂されていた切れ者であった。経歴も中々すごい。彼はオール1(日本でいうところのオール5)という成績で高校を卒業すると大学をたったの4年で卒業して経営経済学の修士号を取り、政治の道に入って頭角をあらわしていく。そして2000年の総選挙で自由党が国民党と連立政権を組むと、何と31歳という若さで大蔵大臣の座に就いたのだ。若さと学歴とそれなりの顔のよさとふさふさの黒髪に恵まれたグラッサーは、大臣に就任した翌年の2001年の収支で赤字ゼロ年を達成したこともあって、あっという間にオーストリアの大人気大臣となった。
現内閣にはグラッサーの他にももう1人30代で、グラッサーよりたった4ヶ月ほど年上の農林大臣、ヨーゼフ・プロル (Josef Pröll) がいるのだが、こちらは小太りで外見がぱっとしない為か、はたまた農林大臣という比較的地味な役職のためか、30代半ばで既に3人の子持ちという堅実ぶりのためか(グラッサーは事実婚のみの子無し)、全く目立たない。このプロルの叔父がニーダーエステライッヒ州の知事エルヴィン・プロルで、ヨーゼフ・プロルが閣僚に就任した際には縁故主義だの何だのと色々噂されもした。(そのためヨーゼフ・プロル自身はグラッサーの影で目立たずにいられて、実はホッとしているのではないかと思う。)

閑話休題。
しかし盛者必衰は世の常。2002年夏の自由党内部分裂で、グラッサーは反ハイダー派について敗れる。そして当時の副首相のリス=パッサー女史らと、政治の世界から退く旨を表明した。だが捨てる神あれば拾う神あり。今度は議会解散総選挙前の票集めに必死になっていた国民党が、お家騒動真っ只中の自由党からの離票をものにしようと、グラッサーを超党大臣として内閣に迎え入れる意志を明らかにしたのだ。この作戦は大当たりし、国民党は総選挙で一人勝ち。お陰で自由党は惨敗し、ハイダーの国民党と国民党党首のシュッセル首相に対する(逆)恨みは骨髄に徹した。(そのため、現内閣発足後もハイダーはケルンテン州から何かと政府の政策に口を出し、あちこちをひっかき回して活躍している。)

その後今年に入ってグラッサーは自由党から足抜けし、無所属超党大蔵大臣として元気に働いている。が、問題はここから。最近年金改革案が国会で可決されたのだが、それに大反対していた野党(左派)がつむじを曲げた。そして腹いせに(?)、寄るべなき哀れな(?)グラッサーを徹底的に攻撃し始めたのだ。
グラッサー個人のホームページを運営する資金が、どこかの財団だか会社だかから出ているということを騒ぎ立てて、退陣要求まで出した。しかしオーストリアの法律でこれが収賄に当たるとは言えないらしい。つまり、この資金援助は道徳的には灰色だが法律的にはシロということで、実際的な問題は実はないようだ(と政府側の専門家は主張している)。が、右派と左派の法律家が正反対の意見なので、一般民衆には何が何だかよくわからないというのが実情だ。とにかく夏休み前の野党はグラッサー攻撃のみに集中し、この若い大蔵大臣をひきずりおろそうと躍起になっていた。時には、グラッサーの実家は金持ちなので緊縮財政を切り盛りする大蔵大臣はつとまらないなどと、ほとんど言いがかりのような個人攻撃もあった。

この騒動の最中もグラッサーを政治の世界に留まらせた国民党は彼をかばっていたが、自由党の態度は結構冷たかった。2002年夏の自由党内部分裂時代には、退陣声明を出したグラッサーを持ち上げていたメディアも、上記のスキャンダルだけでなく、彼の政策上の問題をも色々指摘し出し、一時期のグラッサーは針のムシロに座っているような状態であった。
私が一番気の毒に思ったのは、ある新聞にデカデカと載ったグラッサーの写真を見た時のことである。そこには彼が何気なく国会で鼻をほじっている最中の写真が載っていたのである(6月何日かのプレッセ)。プレッセはそんじょそこらのスポーツ新聞とはちと違う。自らインテリ新聞を標榜しているそれなりにおハイソな新聞だ。グラッサー攻撃もここに極まれり、である。その時期のメディアや野党の態度は、世間が彼にこれまでチヤホヤしてきたツケを取りたてるかのような厳しさであった。
しかし政治家というのはやはり特殊な人種らしい。私だったらとっくに円形脱毛症の上胃潰瘍になっているのではないかと思うような状況でもグラッサーの黒髪は相変わらずフサフサ、シミひとつなさそうな肌も健康そうにツルツルのままであった。

そして騒動が長引くにつれ、野党よりもメディアのほうが先に飽きてきた。グラッサー批判の方向がまた微妙に変化し、ヒステリックな個人攻撃を続けるより、血税から高い給金もらっているんだから野党もきちんと仕事をしろという論調の記事もちらほら目につくようになってきたのだ。こうなるとグラッサーの粘り勝ちというようなもので、騒動の根源であった彼の個人ホームページのゴタゴタもウヤムヤのままに過去の出来事となりつつある。
ホームページ以外にも政府企業の民営化などをめぐって叩かれていたグラッサーだったが、8月25日に2002年の収支の赤字率が予想を大幅に下回ってGNPの0.2%だったということが明らかになり(当初の予想では0.6%)、再び勢いを盛り返しそうな様子である。尤も野党はこの数字をたてに取り、こんなに余裕があるなら政府が2005年に予定している税制改革をやっぱり2004年に早めろ!と主張しているわけだが。

とにかくグラッサーにはこの逆境を切り抜けて、これからも長く元気に政治界に留まってほしいと、ちょっと面食いの私は切に願うのである。

非難轟々浴びている(或いは、浴びていた)グラッサー本人のサイトはこちら:
http://www.karlheinzgrasser.at/

=追記=
オーストリアの憲法には「非両立法 (これは “Unvereinbarkeitsgesetz” の適当な私訳)」というものがあり、閣僚が株を所有している場合にはそれを届け出なくてはいけないことになっている。これは閣僚が自分の利益のためにある会社だけを贔屓したりできなくするためのものなのである。特に全株の25%以上を閣僚とその配偶者が所有している場合、その会社は公共の事業から締め出されることになっている。(しかし持ち株が何%であると届け出の義務が発生するのかということについては明言されていない。)
このたび我らがグラッサーが所有株を届け出ていないことが明らかになり、また騒ぎが持ちあがった。本人は自分の持ち分が「たった0.000015%なんだから、わざわざ届け出なくていいかと思った」と言い訳。しかし後にこれが0.0015%だと判明し、また叩かれた。さらに、他の株売却の際にはインサイダー取引に関わった疑惑まで出て来た(売り抜けの状況証拠は揃っている状態)。野党は大喜びでKHG攻撃を再開したのである。

……これにはちとガッカリした。どうもこのグラッサーという人は脇が甘い。李下に冠を正さずとか、瓜田に履を入れずという行動規範を知らないのだろうか?ひとつふたつの失敗なら「ただの間違い」で済ますことができるが、これだけスキャンダルが相次ぐとその無頓着ぶりが目についてくるし、このスキャンダルの連続は野党の攻撃目標にされていることだけが理由ではないのだろうとも思えてくる。
とにかく私のグラッサー人気は急下降中である。人間やっぱり顔と爽やかさだけではないのだと再認識した次第。

参考:
Weiteres Nichtmelden von Aktien / 2002.10.15./ Presse
Grassers Golddepot im Visier / 2002.10.15./ Presse
Grasser: Veracht auf Insiderwissen / 2003.10.14./ Presse
Engel auf der Nadelspitze oder: Ein Gesetz, um das sich keiner scherte / Andreas Schwarz / 2003.10.14./ Presse
“Verpflichtet anzuzeigen” / 2003.10.14./ Presse

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