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東方三博士の日 (Heilige Drei Koenige / Epiphanie)

ケルン市の紋章 東方三博士を『三聖王』という言う場合もあるらしい。これはキリスト生誕を祝うため、星に導かれて贈り物を持ってキリストの元へ駆けつけた東方三博士 (Dreikoenige;ドイツ語では3人の王様) のことを指している(新約聖書マタ第2章、1-12節)。そのためラテン語でこの日を “Epiphanie 顕現(神の出現)日”と呼ぶこともある。
元々はこの日、イエスがヨルダン川で洗礼されたことが祝われていたのだが、中世に入ると東方三博士の要素が強まってくる。これは12世紀半ばにミラノからケルンへと、この三博士の聖遺物(遺骨か?)が贈られたためである。(これは今日でもケルンの大聖堂に安置してある。)以来ケルンはヨーロッパにおける巡礼地の一つとして大いに賑わい、経済的・政治的・文化的に大きな発展を遂げる。そのためであろう、ケルン市の紋章の中央には今日でもこの三博士の王冠が見られる(右の写真を参考のこと)。またケルン市の周辺では三博士への信仰が特に篤いようで、三博士にちなんだ宿・飲食店の名前(冠、星など)が多く見られる。

ケルン市に三博士の聖遺物が贈られて以来、ドイツ語圏全体に東方三博士の日を祝う傾向が非常に強まり、星に導かれてイエスの元へと向かう3人の異教徒を模したシュテルン・ジンゲン (Sternsingen) という民族行事が広まっていく。しかしこの行事が本格的に広まって行ったのは15世紀から16世紀にかけてのことで、それ以前はクリスマスのクリッペ(写真はここを参照)において、厩におけるキリスト降誕の情景が人形と共に模されるのが常であった。また反宗教改革の一環としてシュテルン・ジンゲンが奨励されたことも、この行事の伝播に寄与している。

しかし三博士とは言うものの、聖書に3人という記述があるわけではなく、3つの贈り物(黄金、乳香、没薬)を携えた異教徒の賢人たちがイエスの誕生を祝いに厩を訪ねてきたと言及されているだけである。この贈り物の数から6世紀頃には Thaddadia, Melchior, Balytora という3人の聖人たちがイエスを訪れたとされ、さらに8世紀になるとカスパル、メルヒオール、バルタザル (Caspar, Melchior und Balthasar) のという名前が三博士の名前として定着する。(実在したことがあやふやなこれらの三博士は列聖されていないので、厳密には聖人ではない。そこから考えると上述のケルンに安置されている三博士の聖遺物とされている物は何であるのか、疑問がわいてきてしまう。)
また13世紀に入るとこの3人はそれぞれ異なった風貌で描かれるようになり、以後カスパルは黒人の若者、メルヒオールは壮年の白人、バルタザルは初老のアラブ人として各々アフリカとヨーロッパとアジアを象徴するようにもなる。その後なぜかメルヒオールが黒人として描かれるようにもなり、現在ではカスパルとメルヒオールのどちらが黒人なのか地方によって変わってくるようだ。(オーストリアではメルヒオールが黒人。)
さらにカスパルはそのユニークな容貌から人気者となり、今でも(東方三博士とは全く関係のない)子供向け人形劇のヒーローとして活躍している。(しかし人形の容貌は見たところ白人である。)そこから “kaspern(おどける、ふざける)” や “(Holz-) Kasperl [e/i](馬鹿者、阿呆)” などという表現が生まれもした。

子供たちはシュテルン・ジンゲンで、三博士として金の冠をかぶった3人の王様の格好をする。この博士(王様)たちは12月27日から1月6日までの間、彼らをキリストのところへ導いてくれた星の役目の子供と共に4人一組で歌を歌い、町を練り歩く。この一行は豊饒や幸福をもたらしてくれるということで町中でもてなされ、贈り物をもらう。しかし幸せの分け前にあずかるために、いちいち博士たちに家までおいでいただく必要もない。幸運を迎え受けるにはちょっとした儀式が必要になるだけである。
それにはその家の父親か、少なくとも男性一人が家族の誰かと1月5日の夜に香炉を持って家の回りを一周する。(クリスマスから東方三博士の日までは毎晩悪霊祓いの夜[12夜とも言う]が続くが、この儀式も悪霊を祓う意味合いを持っている。)家を香炉で燻した後に(できれば聖別された)チョークで家の扉に C + M + B と書き、このアルファベットをはさむようにしてその年の数字を書く。このアルファベットは本当は博士たちの名前の頭文字ではなく、ラテン語の christus mansionem benedicat(キリストがこの家を祝福する)という文章を略したものである。(博士の名前の頭文字とこの略もわざわざ一致するように考えられたのかもしれないが。)ちなみに + はプラスではなく十字架を意味している。つまり2003年の幸運であればは 20 K + M + B 03 と書き、最後に聖水をふり撒けばば、その幸運は一年間続くと考えられているのである。ただ近年では面倒な手間が省かれ、家の主が東方三博士を迎えた後に(あるいは三博士が来なくても)、自分で上記の記号を書いて終わりのようであるが。

この物乞い(?)行事は近年廃れてきていたが、第二次世界大戦後(1955年)カトリック教会が貧しい国々への寄付をシュテルン・ジンゲンによって集めることを始めた。これがきっかけとなり古い慣習であるシュテルン・ジンゲンに新しい意味合いが付与され、現代によみがえったと言われている。2002年の1月の時点で全部で8万人(うちウィーンだけでも1万4000人)ものシュテルン・ジンガーたちが公式に(?)寄付を集めに回ったそうであるから、この行事の規模はかなり大きいのではないだろうか。
しかし仮装して寄付を集めに回る子供たちの苦労は大きい。寒空の下を同級生に笑われたり、迷惑がられて追い払われたり、怒鳴られたりしながら歌を歌って歩き回るのである。また、4人組の中で誰がメルヒオールに化けるのかということではいつでも揉める(らしい)。この黒人博士に扮装するには、顔を真っ黒に塗らなくてはならないためである。逆に同級生に見つけられずに済むからと、自らメルヒオールを希望する子供もいるが、これは稀な例であるらしい。

また、新聞によると、稀にではあるが大人の博士たちが町を徘徊していることもある(らしい)。特に観光客の財布をあてこんで歌を歌って回るのがウィーンのホイリゲのメッカ、グリンツィングである。この一行には星と博士だけでなく、ラクダやゾウ(注:偽者)も加わっているので地元民からも珍しがられているとか。しかしこれがグリンツィングのショーの一環と思われ、寄付が中々集まらないのが悩みの種だそうである。


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