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謝肉祭 (Fasching)

謝肉祭はオーストリアやバイエルンでは Fasching(ファッシング)、ドイツでは Fastnacht(ファストナハト)や Karneval(カーネヴァル)と呼ばれる。

西暦600年頃に法王グレゴリウス一世が復活祭前の断食期間を40日間と定めた時には、四旬節は各日曜日を含めて40日とされていた。そのため当時は現在よりも四旬節が6日遅く始まっていた。しかし1091年のベネベント(イタリア中南部の都市)の教会議で四旬節の初日が(日曜を除く為)灰の水曜日に定められ、以来謝肉祭はその前日に祝われることとなった。以来謝肉祭の期間は次第に長くなっていき、12世紀には既に東方三博士の日(1月6日)から四旬節の前日まで数週間に渡って祝われることとなった。また現在でも昔の四旬節の始まりを頑なに守っている地方があり、そういった場所では今日でも謝肉祭が通常より遅く祝われる。

ブリューゲル『謝肉祭と四旬節の争い(一部)』 謝肉祭の終わりも常に明確であるとは限らず、四旬節初日の灰の水曜日まで祝われることもある。この祭りの終わりと断食期間の始まりが明瞭に分けられていないことに対し、上述の法王グレゴリウス一世などは7世紀頃既に不快感を顕わにしているが、現在まで謝肉祭の最終日は必ずしも徹底して守られているわけではない。右のブリューゲルの(部分)絵『謝肉祭と四旬節の争い』(1559年;ウィーン美術史博物館所蔵)はそのような状況をフラマンの習俗と共に描いたものである(絵の全体図はこちら、約70kb)。絵の中央手前で樽に座り、手に串肉を持ちながら頭の上にソーセージをのせている男が謝肉祭のシンボルで、その後方にうずくまっている女性は(よく見えないが)容器の中に2匹の魚を入れており、これが謝肉祭に対する四旬節を表している。

また現在では11月11日の11時11分に謝肉祭が始まり四旬節の前日まで続くという地方もある。しかしこれはなるべく謝肉祭の期間を長くしようという考えから19世紀のベネチアで始められたもので、正式の謝肉祭の開始とは言えない。日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣のように、謝肉祭期間の延長は企業や商店によって考え出されたという説もある。
11月11日は本来聖マーティンの日であり、この日にはやはり断食期間と定められていた待降節前のミニ謝肉祭としてガチョウを食するのが習慣となっていた。そのためこの聖マーティンの日に本来の謝肉祭の開始日が重ねられ、11月11日が四旬節前の謝肉祭の開始だというこじつけがされたらしい。その他11という数の意味にこだわって (= Zahlenmystik) 11月11日を謝肉祭の開始として解釈する説もあり、これに関しては専門家の間でも意見が分かれるようである。

謝肉祭の頂点をなすのが四旬節前最後の6日間で、これは地方によって様々な名前で呼ばれている。それぞれを以下簡単に説明していこう。
・木曜日
この日には謝肉祭の喧騒が一段と増し、町には道化や仮装した者たちが溢れかえる。この謝肉祭最後の木曜日は地方によって様々な名前で呼ばれているが、それらは謝肉祭の間の食物や常軌を逸した振舞いに関してつけられたものが多い。オーストリアではこの日は多く汚い木曜日 (schmutziger Donnerstag) と呼ばれているが、これは実は汚いわけではなく、“Schmlaz(ラード、脂身)” という単語が訛って “schmutzig(汚い)” となった。つまりこういった脂肪分たっぷりの食べ物がこの日には好んで食べられるということだろう。その他 “feister(肥えた)”、“fetter(脂っこい)”、“unsinniger(馬鹿げた)” 木曜日などとも呼ばれている。

・金曜日
この日は元々イエスの苦難を悼む日とされていたため、謝肉祭が祝われることは稀であった。場所によってはこの日が “russiger(ススの)” 金曜日と名付けられている。これは互いの顔をススで黒く塗り合う悪戯が行われることから、そう呼ばれるようになった。

・土曜日
この日も上述の木曜日と同様の理由から “schmalziger(脂っぽい)” 土曜日などと呼ばれることが多い。そして伝統的にはこの日に丸いクラッペン(Faschingskrafpen、北ドイツでは Berliner Pfannkuchen) という揚げパンを食べる、または火曜日までもつほど十分なクラッペンを焼くこととされている。

・日曜日 (Estohimi / Quinquagesima)
古くは薔薇の日曜日 (Rosensonntag) 、地方によっては台所の日曜日 (Kuechensonntag) 、主の謝肉祭 (Herrenfastnacht) などと呼ばれるこの日には昔、法王が金の薔薇を手にして民衆の前に現れ、40日間の断食期間が近付いてきたこととイエスの苦難とを思い起こさせたという。そのため法王の手にしていた薔薇にちなんでこの日が薔薇の日曜日と呼ばれることとなった(らしい)。

・月曜日
薔薇の日曜日に続き、この日も薔薇の月曜日と呼ばれる。
この日には通常パレードが催されるのだが、これは1824年にケルンで始められた。その際パレードを計画したケルン市の委員会が、前日の薔薇の日曜日にちなんでこの日も薔薇の月曜日と名付けたと言われている。しかし謝肉祭の狂乱ぶりから狂騒 (rasen) の月曜日という名前が後に変化して薔薇 (Rose) の月曜日になったという説もあり、はっきりしたことは今でもわかっていない。その他 “blauer(青い)” 月曜日、“guter(よい)” 月曜日と言われるのは、この日の午後は以前休みとされていたためである。

・火曜日
謝肉祭の最終日である火曜日は、クライマックスに相応しく盛大に祝われる。それにちなんでこの日は “Narrenfastnacht(あほうの謝肉祭)”、“Kehraus(ラストダンス、終了)” などという名前で呼ばれたりする。地方ではその他 “Schnitzdienstag(薄切り火曜日)” とこの日を呼ぶところもある。これはこの日、梨やリンゴの薄切りとベーコンから成る料理が食されたためである(これが御馳走であるのかどうかは不明だが)。謝肉祭最終日の火曜日は夜中の12時まで祝われる。

謝肉祭には、40日間の断食を始める前に十分に馬鹿騒ぎをして世俗の楽しみを味わうという息抜きやリラックスの意味がある。しかしそれ以外にも謝肉祭−四旬節というペアは、悪魔がしきりとそそのかす享楽的な生活が実現するものの、神への禁欲によってその誘惑が打ち負かされるという一連のテーマも再現しているのである。

さらに謝肉祭にはキリスト教だけでなく、冬を追い払うというゲルマン民族の習慣から来ていると思われる側面もある。そこでよく引き合いに出される祭事に、1月から2月にかけて行われるチロルの民族行事のアーペルシュナルツェン (Aperschnalzen; aper “雪のない”、schnalzen “鞭をピシッと鳴らす”)というものがある。これは9人1組の男性が1度に4mもの鞭を振り回して音を立てるもので、それによって暗闇と寒さを追い払うと同時に豊饒を願うという意味がこめられている。
またローマからもたらされた複数の春の祭りが謝肉祭に取り込まれていることも指摘されているが、それに関しての詳述はここでは避ける。

最後に、ウィーンで謝肉祭を意味する “Fasching” という単語について少し述べておく。これは元々オーストリアやバイエルンで用いられていた土着の単語であるが、13世紀頃から次第に北ドイツの同義語 “Fastnacht” が南にも広まってきた。14世紀には既に北バイエルンやチロルなどの地方で Fastnacht が Fasching に代わって使われるようになり、15世紀には全バイエルンで Fastnacht が使用されるにまで至る。この傾向に歯止めをかけ、逆に Fasching を広めたのがハプスブルク家のレオポルド一世である。
レオポルド一世は1683年のトルコ軍侵攻の後、安全維持という観点から戸外で仮装した者たちが謝肉祭に大騒ぎをするのを禁じた。その代わりに彼らが室内で謝肉祭を楽しめるように計らい、これが現在のウィーンの冬の舞踏会の起源となったのである。この新しい習慣はあっという間にウィーン中で下はプチブルから上は貴族にまで流行し、さらには他のオーストリアやバイエルンの都市にも広まって行く。この流行と共に Fasching も西へと使用領域を広め、バイエルン中に再び Fasching という単語が甦ったわけである。


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