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バレンタインデー (Valentinstag)

日本では女性から男性にチョコレートを贈る日として知られているバレンタインデーであるが、オーストリア(西欧)では逆に男性が女性にプレゼントをする日である。
有名な伝説では、この聖バレンタインが時のローマ皇帝クラディウス二世の命に逆らって恋人同士を結婚させたことを理由に、2月14日に死刑に処されたとされている。そのためこの日恋人のための日として祝われるようになった。しかしその当時の史料の中で聖バレンタインにまつわる上記のようなエピソードを伝えるものはなく、今日では聖バレンタインが恋人の為の聖人であるという信仰は後世に考え出されたものだとされている。

現在のところ2月14日の聖人とされている聖バレンタインも完全には特定されていない。そのため複数の殉教した聖人が1人の聖バレンタインとして崇められているという説や、テルニ(中部イタリア)出身の聖バレンタインが後にローマでも有名になった為、ローマの聖バレンタインとしても別に信仰の対象となってしまった(法皇ユリウス一世は実際この聖人のために4世紀、聖バレンタインの名を冠した教会堂まで建設した)という説などがある。

2月14日は現在でこそ幸せな恋人たちの日のような扱いをされているが、中世においては否定的な意味合いを持つ日であった。と言うのも、2月14日はキリストを裏切ったイスカリオテのユダの誕生日だとされており、この日に産まれた子供は幸の薄い人生を送り、早死にすると信じられていた。またこの日に産まれた家畜も生殖に悪影響をもたらすと信じられていたので、繁殖には用いられないことになっていた。

2月14日が聖バレンタインの日だとされるようになったのは中世以降のことである。それまではクリスマスが1月6日に祝われていたため、元々その40日後の2月14日は聖燭祭の日(聖母マリアお清めの日)であったのだ。法皇リベリウスがクリスマスを12月25日と定めたのは354年のことであったのだが、それがドイツ語圏に伝わるまでには相当の時間を要した。そして中世に入ってドイツ語圏にも12月25日にクリスマスを祝う習慣が浸透してくると、クリスマスと共に聖燭祭も2月2日に移動してしまった。そのため2月14日は『何もない日』になってしまったのである。
この『何もない日』を埋めるため、今度は2月14日に祝われるローマ神話の女神ジュノ(結婚や家族の守り神)の祭りや古代インドの祭りなどが借用されたとも言われているが、これについても諸説あり、詳しいことはわかっていない。いずれにせよ、何らかの理由から聖バレンタインが2月14日の聖人として選ばれ、いつのまにかそれが恋人の日になったらしい。

現在のバレンタインデーの由来はイギリスなどにあると言われている。14世紀頃からイギリスやフランス、ベルギーなどではクジでその年のバレンタインとバレンティーネが選ばれ、この二人はその後一年カップルとして公式の場に登場することとされていた。この習慣が16世紀以降アメリカにも受け継がれ、初めてそこで男性が女性に何か贈り物をするという形ができあがったらしい。それが1950年以降再びヨーロッパ及びドイツ語圏にもたらされ、今日のようなバレンタインデーが定着するに至った。
察するに、ここに英語の “Will you be my Valentine?” という決まり文句が由来しているのではと思うが、詳しいことは不明である。

現在のオーストリアでは、日本ほどでないにせよ2月14日が近付いてくるとバレンタインの商業広告が町に溢れる。全国でのバレンタイン商業効果は1億ユーロほどと言われており、そのうちの60%以上を花束の売上が占める。これは平均で1人22ユーロ(3000円ほど)の出費となる。
またオーストリアの愛の町(?)、サンクト・バレンティン (St. Valentin) でバレンタインデーに結婚式を挙げることが一部のカップルに人気らしく、バレンティン町の町おこしにも役立っている。町ではバレンタインデーに合同結婚式や、150組ものカップルによる世界一長い婚礼行列を企画してみたり、色々頑張っているようだ。
色々調べているうちに、この町がバレンタインの日本の里、岡山県の作東町と姉妹町関係にあることもわかり、少し驚いた。(なぜよりによって作東町がバレンタインの日本の里なのかは不明。)


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