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アマリア宮 (Amalienburg)

アマリア宮とフランツ皇帝の像 アマリア宮は王宮の西はじに位置し、その向かい側にはバルハウス広場を隔てて連邦総理府 (Bundeskanzleramt) が立っている。この宮殿は1575年から1577年にかけてルドルフ大公によって新宮廷として建てられた。だがルドルフ二世がその後都をウィーンからプラハに移してしまうと、宮殿はルドルフ二世の弟エルンスト大公に引き継がれる。内装は17世紀初頭にフィレンツェから呼び寄せられた職人たちによって華麗に飾り立てられた。 この宮廷の名はヨーゼフ一世の未亡人アマリアがここに長く住んだことからつけられた。またその後にはフランツ・ヨーゼフ皇帝の妃エリザベートもここに住んだ。

さらにこの宮殿とレオポルド宮とスイス宮宰相宮に四方を囲まれた広場 (In der Burg) には最後の神聖ローマ帝国皇帝(二世)で最初のオーストリア皇帝(一世)であったフランツ二世(または一世)の銅像が立っている。これは息子のフェルディナント皇帝が父の栄誉を称えて製作させたもので、1846年に完成した。ヨーゼフ二世の騎馬像が1807年にヨーゼフ広場で除幕された後、長い間オーストリアは経済的にも心情的にも芸術振興の余裕を無くしていたが、ようやくこの時また新しく巨大な立像を製作することが決まり、イタリアの彫刻家マルチェスィ (Marchesi) にその製作が任された。そのためこの像はミラノで鋳造され、はるばるウィーンの王宮まで運ばれて来たそうである。
銅像のフランツ二世(一世)は月桂樹の冠をかぶり、トガ(古代ローマの男性用袈裟掛け式寛衣)を羽織り、ローマ皇帝の姿で立っている。また皇帝像を囲む四体の坐像はそれぞれ信仰、強靭、平和、公正を表している。さらに皇帝像の立つ柱のレリーフはそれぞれ商業、工業、鉱山・冶金業、農業、畜産業、学問、芸術、そして英雄的行為を意味していると言う。しかしマルチェスィのデザインには動きに乏しく、他の彫刻家のデザインのほうが良かったとも批判されたようである。 像の正面の銘文はラテン語で『私の愛は民衆に向けられている』とフランツ二世(一世)の遺言状からの引用文が書かれ、裏面には『信心深く、公正で、力強く(以下略)、……な国父の顕彰』と記されている。


レオポルド宮 (Leopoldinische Trakt)

この宮殿は1660年から1666年にかけて皇帝レオポルド一世の命で当時の防壁沿いに建設されるが、火事で焼けてしまい1668年から1681年にかけてもう一度建て直される。内装はマリア・テレジアの時代に完成され彼女自身ここに住んでいた。
現在この建物は大統領の執務室として使われている。


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