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宮廷図書館 (Hofburgbibliothek)

宮廷図書館の一部 ウィーンの宮廷図書館の歴史は古く、元はハプスブルク家のアルブレヒト三世 (1365-1395) の代まで遡る。以来代々の領主たちは蔵書を様々な形で集め続け、16世紀の前半にはフェルディナント一世がウィーンに現在の図書館の基礎となる宮廷図書館を作らせた。しかし当時の図書館は主に城や修道院の一部に設けてあっただけのもので、保存状態の悪さから読めなくなってしまう本も少なくはなかった。現在の宮廷図書館は、カール六世が代々のハブスブルク家の蔵書に加えオイゲン公の膨大な蔵書をも手に入れた際、図書館専用の建物として建てられた。ヨーゼフ広場に面するこの図書館は著名な建築家フィッシャー・フォン・エアラッハ(父)によって設計され、彼の死後はその息子の手によって1735年に完成した。

カール六世立像 ヨーゼフ広場の正面に立つ宮廷図書館はバロック様式で建てられ、マンサード屋根の 中央には太陽神のカドリカが、左右にはアトランテスに背負われた金色の地球儀が美々しく飾られている。
この中にあるのが世界一美しい図書館と名高い宮廷図書館のプルンクザール(=豪奢な広間)である。プルンクザールは丸屋根の下の中心広間と左右に広がる翼廊から成っている。広間の中央には宮廷図書館の施工主でもあり、スペイン継承戦争とトルコ戦争に勝利して当時絶頂期にあったカール六世の大理石像が立ち、それを囲むようにして代々のハプスブルク皇帝やオーストリア領主たちの像もあちこちに立っている。さらにその頭上の天井画にはカール六世の神化をテーマにフレスコ画が描かれている。左右の翼廊の天井にも美しいフレスコ画が描かれているが、これらもは学問や芸術という抽象的なテーマを寓意的に表現しているものである。
1735年に完成した宮廷図書館であったが、早くも1740年には天井にひびが入ったために屋根が崩れ落ちる危険にさらされる。これを救ったのは当時の宮廷建築家であったパカッシィ (Nicolaus Pacassi) で、丸天井の中に鉄筋を入れることで天井を補強することに成功した。

宮廷図書館上部 この新しい図書館建設を機にカール六世はハプスブルク家の蔵書を一般公開することに踏み切る。しかし実際は学者の蔵書閲覧のみに限定され、本当の一般公開が開始されたのはそれから100年以上も後になってからであった。またウィーンの宮廷図書館は美しさと蔵書数では群を抜いていたものの、利用者にとっては不便極まりないものであったらしい。例を挙げれば、当時は暖房器具など全く据え付けられていなかったために冬の間図書館は閉鎖されていた。19世紀に至ると毎日の利用者数は100人ほどいたそうであるが、広い図書館内に机は40人分しか用意されていなかったそうで、あぶれた利用者は窓際や司書の机を使用して本を閲覧するしかなかった。
その後も蔵書は増え続け、本の種類によってさらなる分館がいくつも作られた。現在国立図書館の本館は新王宮に入っているが、その他にも写本、新聞・雑誌、ポスター・広告、羊皮紙等々様々な種類の図書分館が存在している。

図書館のあるヨーゼフ広場の右側の建物の中には舞踏会用の大広間がある。これは1744年から1748年にかけて建てられた。1767年から1773年にかけてはさらに広場左側にアウグスティーナー教会の正面部分を塞ぐ形で新しく翼廊が建て増しされ、これによってヨーゼフ広場の建物群がようやく一体化する。これらの工事はマリア・テレジア時代にオーストリアを代表する建築家であり、上記の宮廷図書館修復工事をとり行ったパカッシィによって行われた。
余談だが、この大広間で1979年6月アメリカ大統領カーターとソ連の書記長ブレシュニーはソルト条約IIに調印した。

宮廷図書館の開館時間等についてはこちらを参照のこと。


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