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宰相宮 (Reichskanzlertrakt) とミヒャエル宮 (Michaelertrakt)

宰相宮は1723年にカール六世の命によって建てられた。それ以後1806年に神聖ローマ帝国が消滅するまで帝国内の全ての官庁がここに入っていたため、この宮殿には『宰相宮』という名がつけられる。
建物の北側、シャウフラー小路 (Schauflergasse) に面した部分は1723年ヒルデブラントの設計に基づいて建設される。その後スイス宮とアマリア宮を繋ぐ形で中庭に面した側翼部分(フランツ・ヨーゼフの住居)が1726年から1730年にかけて完成する。この設計はフィッシャー・フォン・エアラッハによるもので、外壁の両面は付け柱やヘラクレス像(ここではヘラクレスの十二の冒険のうち八つの冒険が表されている)などによって美しく装飾されている。

宰相宮城内側

ミヒャエル広場から見たミヒャエル宮 宰相宮に隣接するドームを頭上に抱いたミヒャエル宮の建設も予定されていたが、建設が実際に開始されたのは1889年のことであった。その前年に宰相宮の裏手にあった旧ブルク劇場が取り壊されたのが直接のきっかけとなった。ミヒャエル宮はフィッシャー・フォン・エアラッハの計画に依拠する形でキルシュナーが設計した。
ミヒャエル広場側から宮殿に向かって左側には『海の支配者 (Die Macht zur See;怪物とネブチューン(?)と海に落ちた男性、さらにその上部の船首に立つ一体の女性像)』、右側には『陸の支配者 (Die Macht zu Lande;二体の男性像とその上部に立つ裸体の男性像)』という名の付けられた壮大な泉が置かれている。これらの泉はハプスブルク家の海と陸の支配力を象徴していると言う。

海の支配力 陸の支配力

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