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カールス教会 (Karlskirche)

カールス教会 この教会は1713年にペストが十数回目にウィーンに大流行し、8000人もの死者を出したことがきっかけとなって建立された。時の権力者カール六世がこの厄介な伝染病の終息を願い、ウィーンがペストから解放されれば新しい教会を建てるとペスト聖人のカール・ボロメウスに誓いを立てたのである。その誓いの効果があったのか、翌年にはペストもおさまった。そこで早速新しい教会建築計画が始まり、教会は聖人の名に因んでカールス教会という名前がつけられた。(もしかしたらこの聖人がカール六世自身と同名であったことも教会命名の理由だったのかもしれない。)設計は宮廷建築家ヨハン・フィッシャー・フォン・エアラッハがライバルたちを抑えて引き受けることとなった。だが当時のウィーン市内には新しい教会のための適当な場所が無かったため、この教会は郊外(現在のカールス広場)に建設される運びとなった。
しかしフィッシャーは教会建設途中の1723年に亡くなってしまい、その後を息子のヨーゼフ・エマヌエル・フィッシャー・フォン・エアラッハが継いで1737年に教会は完成する。それ以来、カールス教会はウィーンバロック建築の最高傑作と絶賛されながら、均整の取れた美しい姿でカールス広場に立ち続けている。



外装(勝利の柱と三角破風)

カールス教会『勝利の柱(右)』 カールス教会設計においてフィッシャーは第一義的に、この教会がハプスブルク家の権力と富の象徴的存在としての役目を担うことを念頭に入れ、それを寓喩という形であちこちに散りばめた。またこのハプスブルク家の世俗的栄耀は全て神からもたらされたものでもあり、カールス教会はハプスブルク家の王権神授説を大々的に知らしめる重要な意味も持っていた。
ハプスブルク家の栄華とその存続への願いを端的に象徴しているのがカールス教会の左右に立つ2本の『勝利の柱』である。この柱にはそこからカールス教会の名前が取られたペスト聖人のカール・ボロメウスの生涯が螺旋形の帯状に浮き彫りされている。これはローマ五賢帝のトラヤヌス帝とマルクス・アウレリウス帝の記念柱(注1)を模して製作されたもので、それぞれ47mもの高さを誇っている。またこれには上記の二人の名高い皇帝たちが治めた時代のように平和な時代が続くことへの願いもこめられている。さらにどちらの柱もてっぺんに、カール六世の偉大な先任者であったカール五世の紋章を模したモチーフである十字架付きの冠とローマ帝国の鷲をいただいている。これは当時日の沈まぬ国と称された広大なハプスブルク帝国(スペイン、シチリア、オランダ、ベルギー、フランスのブルゴーニュ地方、オーストリア)を治めていたカール五世の後継者として、カール六世のスペイン統治権の正当性を高らかに謳っているものなのである。 天使像(左) (しかしカール六世は泣く泣くスペイン王国を諦めることになる。)それだけではなく、この2本の柱はスペインとモロッコ間のジブラルタル海峡の呼称であった『ヘラクレスの柱(注2)』を意味し、ひいてはこれがハプスブルク家の文明世界を象徴してもいるのである。またこれはエルサレムのソロモン宮殿の左右に立つ2本の柱 Jachin (留めておくもの)と Boas(強さを有するもの)にも通じており、これがそのままカール六世のモットー『永続性と強さ』を暗示してもいる。
この勝利の柱に挟まれた教会の入り口には、左右に1体ずつ天使像が立っている。これはそれぞれ新、旧の聖書を表している。さらにその上の破風上には聖人カール・ボロメウスが立ち、その背後には信仰、慈悲、贖罪、祈りを象徴する4体の像が立っている。また破風の内側にはカールス教会建立のきっかけとなったウィーンのペスト流行の様子が浮き彫りで描かれている。

注1:
トラヤヌス帝の記念柱(約36m)は紀元後113年頃、マルクス・アウレリウス帝の記念柱(約40m)は196年頃作られたと言われている。どちらの柱にも帯状に浮き彫りがほどこされ、それぞれの皇帝の偉業や当時の兵隊たちの様子などが描写されている。

注2:
このヘラクレスの柱は古代、世界の果てだと考えられていた。そのため柱のこちら側である文明世界がカールス教会の勝利の柱から始まるという意味付けがなされたのであろう。



内装

天井画の一番上の部分、1羽の鳩が描かれている 以前ここにも書いたように、4月からカールス教会の天井画の修復工事が開始された。この天井画はペーター教会の天井画も手がけたロットマイヤーの作品で、中央には聖カール・ボロメウスがペスト終息を祈って代願している様子が描かれている。その他聖母マリアを初めとして多くの聖人や天使、また三位一体や天国など様々な宗教的シンボルなども天井いっぱいに生き生きと描写されている。そのためどれが聖ボロメウスなのか実は判別し難い。いずれにせよ豪華絢爛な天井画で、一見の価値がある。ただよくよく見ると天井画はかなり剥落しており、これが4年のうちに修復可能であるのか心配になってくることも確かである。
剥落している天井画の一部 大祭壇はフィッシャー(父)自身によってデザインされ、『聖ボロメウスの昇天』をテーマに彫像群があしらわれている。中心で天使たちに囲まれているのが勿論聖ボロメウスで、渦巻く雲の上に立ちながら天から射す光に導かれている。その左右の柱の上に立っているのは4人のラテン教父(注3)で、その上の小さな天井画は『神の羊』をテーマに描かれている。説教壇の反対側の祭壇には『聖母を描く聖ルーカス』の絵がかかっている。この場所からは、後方に位置している美しいパイプオルガンもよく見える。パイプオルガンの上方の天井画には『聖ツェツィリエ(セシリア)の感謝』が描かれている。
大祭壇 その他の部分を簡単に説明していくと、大祭壇に向かって右に位置する祭壇には『テュービンゲンの聖エリザベート』の絵が飾られ、天井には『神意への服従』が描かれている。その反対側、左側の祭壇には聖母マリアの昇天の絵がかけられ、天井には具人化された『信頼』が描かれている。さらにその隣の小さな洗礼堂には『キリストとローマ人兵士』の絵が、反対側には『ナイムの若者を起こすキリスト』の絵がかかっている。また教会の本堂ではなく、左の側翼(チケット売り場の反対側)は聖体に祈りを捧げるための場所として使用されている。

注3:
初期キリスト教時代に大きな業績を残し、公会議において又は教皇によって認められた4人の神学者(聖アンブロシウス、聖アウグスティヌス、聖グレゴア、聖ヒエロニムス)のこと。


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(C) Hana 2002