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岸辺のマリア教会(Maria am Gestade)

元々この教会は礼拝堂だけが9世紀頃、つまりウィーンがアヴァ−ル人支配から解放され、正式にキリスト教管区の中に編入されて間もなく建設されたと言われている。その後907年マジャール人のウィーン侵攻の際、この教会は破壊されてしまうが、バーベンベルク家のレオポルド三世が再び教会を建て直し、ハインリッヒ二世がさらにそれを拡張したということになっている。いずれにせよこの教会は1158年初めて文書において言及される。

岸辺のマリア教会 13世紀に入るとロマネスク様式の教会が建てられる。14世紀(だいたい1330年から1369年にかけて)にはさらに内陣がゴシック様式で建て直され、14世紀の終わりから15世紀にかけて長堂と美しい飾り格子の丸屋根をてっぺんにいだく七角形の塔が建てられる。(この丸屋根は聖母マリアの冠を象って作られたとも言われている。)教会の外観は写真からも見てとれるように、美しい多角形の東塔(高さ56m)とゴシック様式の簡素な外壁とがあいまって存在感のある落ち着いた雰囲気をかもし出している。
『岸辺のマリア』という名はこの教会が昔ドナウ川の岸壁に位置していたためにつけられた名で、教会そのものがドナウ川を航行する船に対して灯台のような役割も果たしていた。またこの教会の正面には『岸辺 (Am Gestade)』という階段があり、さらにその左側には教会の別名ともなっている『マリアの階段 (Marienstiege) 』と呼ばれる階段がある。教会周辺には概して階段や勾配が多くあるが(『魚屋の階段』、『ルプレヒトの階段』、『鴉の坂道』など)、これは切り立ったドナウ川岸壁の名残がこのようにして現在も階段として残っているためである。その昔坂道や崖で平坦ではなかったであろうドナウ川岸壁に大きな教会を建てられるだけの十分な場所がなかったため、岸辺のマリア教会は幅狭で縦に細長く、内部を見るとうなぎの寝床のような作りとなっている。
大祭壇 この教会の内陣のステンドグラスは14世紀に作られたものであり、一見の価値がある。また大祭壇の左右に飾られている作者不詳の受胎告知の石像群も中世の芸術品として高く評価されているものである。だが残念ながら内部には長堂中程に鉄格子が立てられているため、主な美術品や大祭壇を詳細に鑑賞するのは難しい。どうしても内部を詳細に観察したい人はオペラグラス等を持参すればいいかもしれない。
14世紀以降何度か火災や戦争による破壊をくぐりぬけてきたマリア教会であったが、1809年フランス軍の占領下倉庫(!!)として使われ、その後取り壊しの危機に直面する。だが、幸か不幸か当時のオーストリア政府にはこの教会を取り壊すだけの金も十分になかったため、岸辺のマリア教会はそのまま放置されるものの1817年からようやく修復作業が開始される。その際教会内部は新ゴシック様式に模様替えされたため、内部の調度は19世紀以降のものがほとんどである。
教会修復工事の後、1820年に皇帝フランツ一世よりこの教会はレデンプトール会に下げ渡され、後にはチェコの国家教会ともなる。19世紀以降オーストリア、特にウィーンへと多くのチェコ人が移住し、20世紀の初頭にはほぼ10万人のチェコ人がウィーンにいたと言われている。そのためこれらの人々が集うことのできる教会は必須であったのだ。このチェコの国家教会獲得はレデンプトール会のチェコ系司祭でウィーンの守護聖人でもある聖マリア・クレメンス・ホフバウアー (hl. Maria Clemens Hofbauer) の尽力に拠る。

場所:一区のアム・ゲシュターデ広場 (Am Gestade)。


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