ウィーンの歴史 ┃ あれこれ今物語 ┃ 書評

HOME > ウィーンの名所・旧跡 > ミノリート教会

ミノリート教会 (Minoritenkirche)、別名マリアの雪

ミノリート教会 この教会は1224年にバーベンベルク家のレオポルド六世から招聘されたフランチェスコ会修道士たちによって、1250年頃修道院と共に建設された。教会のの名前である『ミノリート』とはフランチェスコ会修道士を意味している。
1316年から1328年の間にゴシック様式の内陣が建てられ、この初期部分は今日も教会中心部に一部残っている。18世紀後半には現在の東側部分、つまり住居部分と司祭館も建てられる。また同時期にこの教会はヨーゼフ二世の命によってイタリアの修道会に明け渡され、フランチェスコ修道会士たちはアルザー通り (Alser Strasse) に立つ三位一体修道院 (Trinitarierkloster) に移転する。以後ミノリート教会はウィーンにおけるイタリアの国家教会という役割も担うようになる。またこの移転の際にフランチェスコ修道会士たちは教会の別名でもあった有名なトレチェント様式の聖なる十字架 (Heiliges Kreuz) の絵を三位一体修道院に持って行ってしまい、ミノリート教会は秘蔵絵画を失ってしまう。しかもこの絵は1945年シュテファン寺院で焼失してしまい、今では残っていない。その後1957年よりこの教会は再びフランチェスコ修道会によって運営されている。

現在この教会の大祭壇の絵は18世紀後半に描かれたローマの丘にあるサンタ・マリア・マッギオレ教会 (St. Maria Maggiore ←??読み方・意味不明、訳適当)の聖画『マリアの雪』のコピーである。また今日ではこの絵が失われた聖なる十字架像の代わりに第二の聖像として扱われ、現在の教会の別名『マリアの雪』の由来ともなっている。『マリアの雪』という絵の題からすると、雪の中に聖母マリアが立っているかのような情景を思い浮かべるが、これは雪と全く関係のない絵である。ではなぜマリアの雪なのだろうか?それを知るためにはこの絵のオリジナルを保持しているイタリアのサンタ・マリア教会の由来に遡らなくてはならない。
その昔イタリアのローマに裕福な夫婦がいた。この夫婦には財産を残すべき子供がいなかったため、聖母マリアに彼らの財産を何かいい目的のために使えないかと伺いをたてた。するとローマ中で雪の残っている場所に教会を建てるように、との神託が下る。だが時期は夏、雪が残っている場所などない。そう思いながらも夫婦は雪の残っている場所を探す。するとローマの丘の一つには本当にまだ雪が積もっており、夫婦はこの場所に教会を建てたという。以後、この教会はその大祭壇の絵と共に『マリアの雪』と呼ばれるようになったそうである。

ミノリート教会版最後の晩餐 また正面に向かって左側の大きなモザイク画はあの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの『最期の晩餐』のコピーで、19世紀初めにジャコモ・ラファエッリ (Jacomo Raffaelli) によって制作された。(このモザイク画は約9m×4.5mの大きさで、重さはなんと20トン以上もあるという!!)この絵の左右の絵にはそれぞれ『聖ヨハンネス・ネポムクの栄光』と『聖レオポルド(レオポルド三世)のクロースターノイブルク創設』という題がついている。反対側の側廊の前方に位置している大理石の記念碑はミヒャエル教会に葬られている宮廷詩人のメタスタシオ (Pietro Metastasio) を偲ぶよすがに19世紀半ば制作されたものであり、その上部の絵は教皇ピウス六世が死にゆく詩人に最後の祝福を与えているところを描いたものだという。 詩人の後ろにはモーツアルトとサリエリが従い、ハイドンが祈りを捧げている。その右隣には18世紀後半に制作されたマリア祭壇があり、さらにその上部には『聖カール・ボロメウスと聖ロッフス』の絵が架けられている。このさらに右側の二枚の絵にはそれぞれ『聖ベネディクトによるマウルスとプラチドゥスの修道院受け入れ』と『聖ニコラウスの奇跡』という題がついている。大祭壇の左横の小部屋は『聖アントニウスの礼拝』と呼ばれており、右側の小部屋は聖具室となっている。西側の窓はゴシック様式の美しい飾り格子で彩られている。
また教会内部北側の壁をよく見てみると、様々な紋章が描かれている。これは教会建設に携わった、あるいはこの教会の敷地内に葬られているオーストリア貴族たちの紋章である。
この教会に足を踏み入れるとまず天井が非常に高く、広々とした印象を受ける。しかしそれに比べて内部の装飾が比較的少ないので殺風景で、バロック様式などの豪華な教会に比べて物足りない感じがすることも確かである。

場所:一区ミノリート広場 (Minoritenplatz) の2a番地。


BACKHOMENEXT

────────────────
(C) Hana 2000-2002